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人が「おじさん」になる瞬間。

若いときから、おっさんだった。

30歳くらいを境に、じぶんのことを自嘲気味におっさん呼ばわりする機会が増えてきた。もちろん、30歳のじぶんをほんとうにおっさんだと思っていたわけではない。たとえば30代のおわりに書いた『20歳の自分に受けさせたい文章講義』という本、その宣伝文のなかで、ぼくは「若手ナンバーワンライター」だと紹介されていた。おそらく、編集の柿内芳文氏による「ふつうにナンバーワンと呼んでしまったら不必要な誤解や反発を招くだろう。若手とつけておけば許されるだろう」という気遣いというか、まさに編集なのだと思われる。30代まではギリ若手と言っても許される、という判断でもある。そのことばに若干の違和感を抱きつつもぼくは、素直に受け入れた。

しかし、いまのぼくが「若手ナンバーワンライター」を名乗ったら、それは非難ゴーゴーだろう。そしてまた「中年ナンバーワンライター」という響きも、ひどくせつない。単純に、なりたくない。


と、なにを書こうとしたんだっけ。

ああ、そうだ。週末に安室奈美恵さん関連のニュースを見ていて、じぶんが若かったころを思い出したのだ。

安室奈美恵さんは、ぼくよりも少し下の世代である。そして彼女が歌手として、またファッションリーダーとして大ブレイクした当時に「アムラー」と呼ばれていた女の子たちは、もっと下の世代である。

街を行き交うアムラーたちを眺めながら、メディアにおもしろおかしく採り上げられる彼女たちのファッションを眺めながら、ぼくは「かっこわるい」と思っていた。バブル世代とアムラー世代のちょうど中間に位置するぼくにとっての「かっこいい女の子」とは、グランジ風味なPUFFYのような子たちであり、アムラーもルーズソックスもコギャルもすべて「かっこわるい」と見做していた。

思えばそれは、若かったんだなあ、といまになって気づく。


ある時期からぼくは、10代から20代前半の男子・女子たちのファッションを見て、その風俗に触れて、「かっこわるい」のことばが出てこなくなった。いま、ぼくの口からついて出るのはただひと言、「わからん」である。

かっこいいとかわるいとか、イケているとかいないとか、そういう判断がなにもないまま、とにかく「わからん」ばかりを口にしている。「へえー、いまはこれがかっこいいんですか。いやあ、ぜんぜんわかんないっすね」と、ひとつも否定することなく感心している。

つまり、同じ土俵に乗る気持ちというか、「こっちのほうがいいじゃん」と争う気持ちが、完全にゼロなのだ。


で、もともとファッションに疎い人間なのでそのへんは仕方がないにせよ、これが仕事の領域にまで及んでしまったら、いよいよ危ないのだろう。

売れている本、支持されている企画、話題になっている人やサービス。そのへんについて「わからん」を連発するような人間になったとき、ぼくは現役を退くことになるのだろう。ほんとうのおじさんになるのだろう。

いまはまだ「ぜんっぜんおもしろくねえよ、それ」の気持ちがいっぱいあるし、だからこそ来年や再来年にじぶんが出す本をたのしみに待っている。