見出し画像

試し読みではなく、立ち読みなのだ。

立ち読みについて、あらためて考えた。

思えばおとなになってから、立ち読みというものをあまりしていない。職業柄、本屋さんに足を運ぶ機会はそれなりに多いほうだと思う。そして行けば当然、さまざまの本を手に取る。手に取ったならばもちろん、中身を読む。しかしながらこれはぼくのなかで立ち読みではなく、品定めである。買うに値する本なのか、念のための確認をしているだけだ。そして「立ち読み」とはもっと、無目的というか時間つぶしの要素を含んだお気楽なものとして、ぼくはイメージしている。

たとえば20代のころ、新宿で待ち合わせをするとなればその場所は決まって紀伊國屋本店だった。そしてぼく以外にも待ち合わせの客(?)は多かったように思う。待ち合わせするにあたっては、普段めったに足を向けない自動車雑誌やマイナースポーツ雑誌などのコーナーで時間をつぶすことが多かった。というのも、それら興味のうすい雑誌であれば、待ち合わせる相手が到着した際、まったく後ろ髪を引かれることのないまま閉じることができるからである。

で、当時の感覚を思い出しつつ、「移動中に読むスマホは立ち読みに似てるよなあ」と思った。

スマホでなにかしらのウェブコンテンツを読んでいるとしよう。そうするとメールが届いたり、LINEの着信があったり、ときには電話がかかってきたり、さまざまな中断要素がある。そしてぼくの場合、「いまこれ読んでるんだからちょっと待って」と、それらの着信を無視することは少ない。「誰だろ?」てな感じで容易に読むことをやめ、メールやLINEのアプリを起ち上げる。つまり、かぎりなく立ち読みに近い態度で、ウェブコンテンツに接しているのだ。スマホ片手の場合には。

それゆえなのか、大事なもの(新聞各社や、ほぼ日のおもしろい連載など)に関しては、パソコンのブラウザで読みたいと思い、実際にそうしている。

まあ、これはぼくがパソコン時代の人間で、いまだスマホとの付き合い方に不慣れな面もあるんだろう。それでも「立ち読みされているんだよなあ」の意識は書き手のひとりとして持っておこうと思った次第である。

試し読みではなく、品定めでもなく、あくまでも立ち読み。

待ち合わせのための、時間つぶし。

それがベースなんですよねー、きっと。