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これで儲かんなくてもぜんぜんかまわない。

あれはもはや自慢でもないのだろうか。

一時期、盛んに「テレビ見ない自慢」みたいな言葉が語られたことがあった。テレビなんて馬鹿な大衆向けのメディアだ。退屈で見ちゃいられない。なんなら俺んちは、テレビさえ置いてない。インターネットがあればそれで十分だ。賛否の両側から、そんな議論がなされた時期があった。

実際、テレビっ子であったはずのぼくも、その視聴時間はむかしに比べて激減している。幸いにしてスポーツ好きなのでテレビに頼る割合は多いものの、たとえば毎週たのしみにしているドラマやバラエティ番組は、かなり少ない。自慢でもなんでもなく、テレビとの距離は遠くなる一方だ。


そうなると当然考えられるのが「インターネット見ない自慢」の時代だ。

スマホの各種アプリは使うのだけど、Webブラウザでの「インターネット」は見ていない。せいぜい検索に使う程度で、本や雑誌やテレビを見たりするようにインターネットを見ることは、もうしない。インターネットなんて嘘と悪口の飛び交う空間でしかなく、見るだけ損だ。

これも実際、起こりはじめている流れだろう。インスタグラムやLINEは見るけど「インターネット」は見ない、という人はけっこう多いんじゃないかと予想する。やはり自分自身のこととして考えても、以前ほど夢中になってネットサーフィンすることはなくなったし、道楽としてWebブラウザの「インターネット」に触れる時間は確実に減ってきている。


ああ、ここはたのしい場所じゃなくなってきたなあ。

お客さんとしてのぼくがそう思うとき、理由ははっきりしている。「みんながそこでお金を儲けようとしはじめたから」だ。

好きで好きでたまらない人たちが、損得を抜きにして遊んでいる姿を眺めるのはたのしい。なんならぼくも一緒に遊びたい。けれど、それが「お金になる」とわかった瞬間、さほど好いてもいない人たちが集まってきて、あざとく、こざかしく、つまらない小商いをはじめていく。「お客さん、あなたこういうのが好きなんでしょ?」「こうされると、うれしいんでしょ?」と、安っぽい傾向と対策で練られた品を、どこかで見たような品を、ほいほいリリースしていく。


スピルバーグ的な天才を別にしたらさ、やっぱり「これで儲かんなくてもぜんぜんかまわない」の人にはかなわないんじゃないかなあ。映画でも音楽でも本でもインターネットでも、それは一緒だと思うし、小銭をカウントしにいくことで失うもの、多いんじゃないかと思うんですよ。青臭い話に聞こえるかもしれないけれど。ま、その青臭さこそが若さの特権で、若い人の強みなんだし。