見出し画像

ごめんなさいが通じないから、お前は。

まったくなんてことだ、仕事しかしてない。

いや、もちろんごはんを食べたり、お風呂に入ったり、ベッドで眠るくらいのことはしている。犬とてくてく散歩したりも、している。10年前、15年前と比べたら、ずいぶん人間的な生活ができている。けれどもこう、わかりやすくあそぶことができていない。映画館にもずいぶん行っていないし、買いためる一方の小説も、読めていない。マンガですら読めておらず、コンサートからも足が遠のいている。

仕事ばかりじゃ人間、つまらなくなるよ。ちゃんと時間をつくってあそびなさい。そもそも、そんなに仕事ばっかりやってたら、逆に生産性が低くなるものだよ。

よく聞くアドバイスだし、他人ごととしてはぼくもそう思う。けれども、そうだなあ。たとえばぼくはまだ、『ジョーカー』を観ていない。どころか、たのしみにしていたはずの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でさえ、観ていない。観に行けばいいじゃん、というのはそのとおりなんだけれど、いまみたいな気忙しい時期に観に行くと、上映中かならず仕事のことが頭によぎる。アイデアが浮かぶこともあれば、カレンダーが浮かんで「って、もう月末じゃん!」などと冷や汗をかくこともあるし、なんだかよくわからない罪悪感に胸をきゅるきゅるさせることもある。結果、こころからたのしむことができず、しかも翌日には一層のハイペースで働かなきゃいけないような焦燥に駆られる。

歯みがき直後にコーヒーを飲んだときのような残念さが、いまじゃなかった感が、忙しいときの娯楽にはつきまとうのだ。

けっきょく、ぼくがこころから本や映画や音楽をたのしむためには、手元の仕事に一定のメドをつける必要があるのだけれど、いまのペースで書いていたらその日がいつになるのか、ほんとのほんとにわからない。


まあ、ひとつ確実に言えるのは10年前や15年前よりは、うまく休めるようになったことだ。そしてうまく休めるようになった——仕事机から離れられるようになった——最大の理由は、こいつがうちにやってきてくれたことだ。

画像1

徹夜せず、毎日ちゃんと帰ること。毎晩そばにいること。ごはん、お散歩、なでなで、ロープあそび。

「ごめんなさい」のことばが通じないぶん、こいつとの約束は破れない。