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おじさんは焼肉を誰と食べるのか。

きのう、若い男子たちと焼肉を食べた。

若いころ、おじさんたちに焼肉をごちそうになるとき、ぼくはいつもおなかを空かせていた。「きょうの夜は焼肉なんだから」と昼めしを抑え、ぺこぺこの状態で夜を待ち、よだれを抑えきれない犬のような顔をしてテーブルにつき、片っ端から肉を平らげていった。

そして宴もたけなわとなったころ、ああもうひと皿食べたいな、でもおじさんたちの箸はもう止まっているな、ここで自分が勝手にもうひと皿注文するのは失礼だよな、だってなんにも言ってないけどきょう、ぼくはおごってもらう気満々だものな。なんてことを考えながら肉もないのに箸を持ち続け、こころやさしいおじさんがキムチの切れ端でもつまみながら「もうひと皿いける?」と訊いてくれるのを待ちわびていた。

その記憶があるものだから若い人たちに「ごちそう」するときには、なるべく焼肉を選ぶようにしているのだけど、遠慮されているのか時代が変わってしまったのか、こちらがほれぼれするくらいに、飲むように食べる若い人というのを、最近見かけなくなった気がする。


「おいしそうに、うれしそうに、こちらがほれぼれするくらい見事に、焼肉を食べまくる若い男」というのは、それだけでかわいがられる才能を持っていると言えるんじゃないのかなあ。ぼくは20代のときたくさんのおじさんたちにかわいがってもらったけれど、そのかわいさの何割かは「気持ちいいくらいに食べてくれる」だったんじゃないかと、いまになって思っている。

若者よ、大人ぶって「そろそろシメの冷麺を」なんて言わなくていいんだよ。

肉、肉、肉、肉、さらに肉。それがうれしくてたまらないおじさんは、たくさんいるんだ。おじさんはきみにごちそうしながら「あのころのおれ」にごちそうしているのだから。