インプットとアウトプット、その代わりに。
きっと多くの人がそうであるように、ぼくはパンダが好きである。
動物園に見に行くことはもちろん、パンダの写真集も何冊か持っているし、パンダ関連のドキュメンタリーなどが放送されれば、欠かさず見るようにしている。あるいはまた、仕事に疲れた深夜などには米・サンディエゴ動物園のパンダカメラを見るなどしてこころのくさくさを慰撫している。
姿かたちの愛らしさからいうと、ペンギンたちもすばらしくかわいらしい。スイスのクレイアニメーション「ピングー」も大好きだし、同じくサンディエゴ動物園にはペンギンカメラがある。
パンダとペンギンの共通点をひとつだけ挙げるならば、「きみたち、どうしてそんなになっちゃったの?」だ。生物学的な話をすれば、パンダは熊であり、ペンギンは鳥だ。そういう目で見ればたしかに熊っぽくもあり、鳥っぽくもなくはない彼らなのだけれど、なにがどうしてそんなルックスになったのか、あるいはその進化の前提として、どういう理由から南極だの中国の山奥だのといった僻地に住んでいるのか、もう少し住みよい場所はあっただろうに、やはり判然としない。
とはいえぼくが好きな動物としてパンダを先に挙げたのには、理由がある。
以前、中庭でペンギンが放し飼いされているホテルに宿泊したことがあるのだけれど、そして当然よろこび勇んで中庭に出かけて行ったのだけれど、これがまあ、鼻が曲がるほどに臭かったのだ。ペンギンの体臭がきついのではなく、その糞便のにおいがもう、思い出すのもつらいほど臭かった。考えてみれば当然のことで、彼らの主食は生魚である。生魚だけを食って生きているものが、ペタペタ歩きながら、あるいはすいすい泳ぎながら、恥も外聞もないまま糞便を足し暮らしているのである。言うまでもなくその糞便は、魚が腐ったようなにおいがした。
一方、パンダの主食は竹であり、笹である。食物繊維ばかりを食っているのだからお通じもよく、おかげで毎日15キロもの竹を食わねばならぬという話を聞いたこともあるのだけど、竹ばかりを食べる彼らの糞便であれば、無臭とまでは言わずとも、たとえばぼくら人間などよりずっといいにおいじゃないかという気がしている。
などと、どうでもいいことを考えながら思うのは、ぼくら人間も「ふだん、どんな情報を摂取しているか」によって、まあ糞便にたとえるのはよくないとしても、その人のにおいというか、雰囲気というか、なんとなく漂ってくる気持ちよさやゲスさなど、いろんなものが違ってくるのだろうなあ、ということだ。
インプットやアウトプットのことばで考えているものを、ごはんとうんこで考えると、より根源的なところに迫れるような気がするのである。