それでクオリティは上がってくれるのか。
QOLということばがある。
クオリティ・オブ・ライフ。生活の質、と訳すこともできるし、生きていくうえでの質、くらいに訳すこともできることばだ。一般的には「QOLを上げる」との用法で使われている。首に合った枕を買うだとか、いいマットレスを買うだとか、高級なオフィスチェアを買うだとか、そういう生命活動の根幹に関わる部分で語られることの多いことばなので、生活よりも「生きていくうえでの質」がふさわしい三文字なのだろう。
で、ぼくにとってのQOLを上げる方策といえば、アレルギー性鼻炎の完治である。花粉症の季節のみならず、ぼくは年中鼻を詰まらせているのだ。
そのQOLがどういうものか、簡単に説明しよう。たとえば鼻炎薬を飲む。花粉症大国でもある日本には、さまざまな種類の鼻炎薬がある。もちろんそれぞれに有効成分が違い、患者ごとに効く薬と効かない薬とがある。ぼくの場合はコルゲンの鼻炎カプセルがいちばん効く。
飲めばだいたい、鼻が通る。両方の鼻が通ることはまずない。しかしながら片方の鼻が通る。その感覚たるやもう、なにか悪いことをしているような、ドーピング的な違反を犯しているような、あるまじき快感が鼻を襲う。こんなにビュービュー空気が通り抜けてだいじょうぶなの、と心配になる。
ところが鼻炎持ちでない人にとっては、これが平常なのだ。これこそが呼吸であり、むしろ片鼻が詰まりぎみなのだ。
いや、みなさんどんだけ気持ちよく呼吸してるんですか。これが当たり前だなんて、どんな人生ですか。ほんとの本気で、そう思う。
じゃあお前も毎日鼻炎薬を飲めばいいじゃないか。そんなご指摘もあるだろう。書きながら自分でもそう思う。しかしながら鼻炎薬ってのは猛烈な喉の渇き、口腔内の渇きをもたらすものであって、あの苦しみはあまり経験したくない。つまり、慣れきった鼻炎のぐずぐずと、不慣れな口・喉のからからの不快を天秤にかけた結果、慣れきった鼻炎を日々選んでいるのだ。いや、別にこんな偉そうな口調で言うことでもないけど。
鼻呼吸が万全だったらなあ、と思う。呼吸とは体内に酸素を取り込む生命活動であって、当然のことながら脳だっていつも酸素を必要としている。手術によって鼻炎を完治させた方々の体験談を読むと、「頭がスッキリする」との感想をしばしば目にする。おれも鼻炎の手術を受ければ、脳内にガンガン酸素が運ばれて、ギンギンの状態でバンバン原稿が書けたりするのかなあ。
と思って気づく。これが鼻炎の影響なのかどうかはわからないけれど、ぼくは集中して原稿を書いているとき、呼吸を止める悪癖があるのだ。つまり、鼻炎を完治させたらQOLは上がるだろうものの、QOW、すなわちクオリティ・オブ・ワークはなにも変わらないのである。たぶん。
いや、QOLのほうが大切なんでしょうけどね。