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人生と感情の引き出し。

自分で撮っておきながら、何度も何度も見返している動画があります。

人生ではじめて犬用クッキーをもらい、それがおもちゃなのか食べものなのかわからないまま、とにかく興奮しまくっている愛息、ぺだるの動画です。

こういう姿を見てると思うわけですよ。はたしておれはいま、こんなに感激・興奮できるなにかに出合っているだろうか、と。


たとえば10代のころ、大好きな女の子からもらった手紙なんかは、こんなふうに「うっひょー! ひゃっほー!」してたのかもしれない。封筒から出してはへらへらにやけ、文字を眺めて赤面し、そえられたイラストにデレデレになり、黙読し、ときに音読し、またふたたび封筒にしまい、なんなら少しにおいでも嗅いでみる。そんなふうに照れたり興奮したり飛び回ったりしてたのかもしれない。いや、してた気がする。

でーもねー。

年を重ね、人生の引き出しが増えていくにつれ、初体験の何事かに出合っても「ああ、これは右から2列目、上から3段目の引き出しに」みたいな感じで、感動を感動として味わおうとせず、その置きどころを探してさっさと「処理」しようとする自分に気づく機会、増えてきた気がするなあ。

もしかしたらそういう処理能力に長けたひとのことを「かしこい」と呼ぶのかもしれないけれど、だったらぼくは「ばか」のままでいたいなあ。人生の引き出しと感情の引き出しは別なんだよなあ。

ボールを追いかける犬のようなひとで、ぼくはありたいです。