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あの人は、引退しない。

こういう日は、当然のようにやってくる。

きのう、イチローさんが現役引退を発表した。同じ1973年生まれの人間として、ぼくのなかでのイチローさんはあこがれでもあり、目標でもあり、支えでもあり、戒めでもあり、いろんな思いが詰まった野球選手だった。契約を切られるより先にご自身でこの決断をされたこと、こころからの感謝とおつかれさまの拍手を送りたい。

それにしてもイチローさんが引退する日がくるなんて、いまでもうまく受け止めることができていない。巨人とのオープン戦でみせた三塁への送球(簡単にレーザービームということばは使いたくない)なんかがそうだったように、イチローさんはいつまでもこちらがほれぼれするようなスーパープレーをみせてくれるものだと、そこに終わりはないのだと、勝手に決めつけていた。

でも、きのうの長い記者会見が終わり、遅めのお風呂に入りながら考えたのだけれど、思えばこの数年、少なくともニューヨークからマイアミに移って以降のイチローさんは出場機会の少なさもあり、かつてのような打って打って打ちまくって他を圧倒する、というプレーヤーではなくなっていた。マイアミ以降、彼に対する「やっぱりすげえ人だなあ」の半分以上は、全米のファン、メディア、そして選手や野球関係者から、考えられないほどのリスペクトを受けている、という一点によって形成されていたような気がする。


そして、そのリスペクトは今後減退するどころかますます高まっていくものと考えられ、彼は日米の両方で殿堂入りするだろうし、たとえば過去にも(たしか2度)推挙されながら現役プレーヤーであることを理由に辞退されていた国民栄誉賞だって、また議論されていくだろう。そしてこれはなんとなくの予感でしかないのだけれど、現役時代よりももっと多くのことを、ご自身のことばで語ってくれそうな気がしている。

なんだかそんなふうに考えると、メジャーリーガーとしてのイチロー選手は引退したとしても、ぼくがあこがれ続けてきた「あのひと」は引退しないというか、ずっと輝き続けるんだろんだろな、と思う。


きょう、イチローさんはなにをしてるのかな。

それを考えるだけで、これまで以上にわくわくしたり、背筋を伸ばしたり、おまえはどうなんだと思えたり、いろいろたのしそうだ。


あとはきのうの記者会見を見ながら、ずっと「自分がここにいたなら、なにを訊こう?」と考えていた。いつか、なにかの機会で訊けたらなあ。