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誰も待っていないかもしれない場所へ。

先週書いた note には、たくさんのリアクションをいただきました。

簡単に振り返りますね。

コンテンツはこれから、「プロダクト型」と「サービス型」に分かれていく。ぼくはずっと「プロダクトとしての本」をつくってきたし、少なくとも過渡期のいまは「サービス型コンテンツ」の提供者になろうと思わないし、なれるとも思わない。この大前提を踏まえて、これからの「やりたいこと」を考える。

もともとぼくには、次代のライター育成に関わりたい、という思いがある。その取り組みの一環として会社をつくった。しかし昨年あたりから、会社とは別に「学校」をつくるのはどうだろう、と思う機会が増えてきた。

ここで忘れちゃいけないのは、「学校」もまたコンテンツである、ということだ。「授業」がコンテンツであるのは当然のこととして、学校それ自体も「編集」がなされたサービス型コンテンツでなければならない。

はたして自分にそのおおきな設計図が引けるのだろうか。

悩みに悩んで、ようやく気がついた。いまの学校(編集系のスクール)に足りないのは、「プロダクトとしての教科書」なのだ。教科書という幹がないからこそ、枝葉のカリキュラムがおかしなことになるのだ。ぼくはまず、教科書をつくろう。学校よりも先に教科書をつくり、その教科書を掲げたうえで学校づくりに取り組んでいこう。

ぼくは先週、そんな話を書きました。

ツイッターやフェイスブック上で応援コメントをくださった方々。LINEやメッセンジャー、メール、それから直接オフィスに訪ねてこられて応援や激励のことばをくださった方々。「一緒にやりましょう」のことばも、たくさんいただきました。

ぼくは今回、編集者を入れずひとりで書いていくつもりなのですが、そこには3つほど理由があります。


ひとつは、もしも納得いくものができなかったときに、「編集者との相性が悪かった」と言い訳したくないから。言い訳の出口を、あらかじめ塞いでおきたかったから。

もうひとつは、どの編集者さんと組むのが(この本と自分にとって)ベストなのか、判断がつかなかったから。

そしていちばんおおきいのは、「こんだけがんばって書いたのに、どこからも出版してもらえない」という可能性を残しておきたかったから。版元も編集者もスケジュールも、なにも決まっていないままに書きはじめる。待っている人がひとりもいないかもしれない先に向かって、走り出す。「それだけの動機が自分のなかにあるのか?」という問いを、ずっと手元に置いておきたかったのです。逆に言うと編集者ってのは、「辛抱強くゴールで待ってる人」なのかもしれないですね。


ですので「一緒にやりましょう」の声をかけてくださったみなさん、ほんとうにありがたいお話なのですが、もうしばらくひとりで走らせてください。


今後もときどき、この「教科書」をめぐる話題、ここに書いていくことになると思います。おもしろいことにこの話題を書くときは、無意識のうちに丁寧語になっていますね。