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納品するということは。

執筆中の本に書こうかと思ったけれど、まあ書くまでもない話だ。

ソーシャルメディアを見ていると、書き上げた原稿を編集者に渡す(送る)ことを「納品」と呼ぶライターさんが、割といる。【納品した】みたいな感じで彼らは書く。ぼくが使ったことのないことばだ。おそらく「納品」の語に仕事っぽさを感じての、あるいは職人的な落ち着きを意識してのセレクトなのだろう。あるいはまた、脱稿や入稿といった紙とインクの匂いが残る用語との違いを強調する意味もあるのかもしれない。

当初ぼくは、納品という考えかたはなかったなあ、くらいに考えていた。ひとりのプロとして、クライアントから提示された対価に見合うだけのプロダクトを制作して、納期(締切ではない)に合わせて納品する。ぼくみたいにルーズで旧式な人間からすると、その姿勢は見習うべきものであるようにも思えた。

けれども、だ。

もしも原稿を書き上げること——そして編集者に渡すこと——を納品と呼ぶのなら、おそらく推敲は「検品」になってしまう。ホコリやゴミは混入していないか、きちんと作動するか、耐久性は大丈夫か、みたいなことをチェックする作業になってしまう。プロダクトのなかにあるエラーを探し、それを除去していく作業だ。それはぼくの考える推敲とは、ずいぶん違う。


……いま、本の最終章を書きながら、脱稿後に待ち受けている全10章ぶんの推敲作業にあたまがクラクラしています。そして同時に、どんなにつらくて面倒くさくても、これを「検品」にしちゃダメなんだよなあ、と自分に言い聞かせるのが今日の主な仕事でした。