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ぼくの先生はテレビだった。

きょうもなんだかドタバタで、これをあと20分で書かないといけない。

なにを書くか考えないままに書きはじめる。すると、普通は「いつも頭のなかで考えてること」がすらすら出てくる、みたいな姿をイメージしてしまうものだけど、ぼくにとっての「いつも頭のなかで考えてること」は執筆中の本ばかりだったりして、その話をここでするわけにはいかない。ということで、書くのは「いつも頭の片隅にこびりついていること」になる。


何日か前、NHKの「SONGS」という番組で薬師丸ひろ子さんを見た。

Wの悲劇、探偵物語、メインテーマなどなど、角川映画黄金期の主題歌を次々に歌っていた。そのメロディが、その詞が、ずぅっと頭のなかをかけめぐっている。どの歌も憶えているし、たぶん歌える。考えてみればこれ、とんでもない話だ。

ぼくは、薬師丸ひろ子さんのレコードを買ったことはない。熱烈なファンだったわけでもない。熱心にラジオを聴きかじる年でもなかったし、主演映画を観に行ったこともない。彼女の歌に触れる機会があるとすれば、ベストテン的なテレビ番組だけだった。……にもかかわらず、彼女の歌をしっかり歌えてしまうのだ。

どんだけテレビを見てたんだ、おれ。どんだけテレビっ子だったんだ、おれ。である。

隠すことでもないので書くと、中学までのぼくは、けっして読書少年とか本の虫とかではなかった。日本語の先生は、テレビであり、アナウンサーであり、スポーツ実況であり、歌謡曲であり、作詞家であり、脚本家だった。


ぼくにとって、最後の「おもしろい日本語を教えてくれたテレビのひと」は、プロレス実況時代の古舘伊知郎さんと、ガキの使いでフリートークしてたころの松本人志さんかなあ。月並みすぎるテレビ批判めいた話になるけど、テレビ番組にテロップがあふれるようになって、即時的なわかりやすさが重視されるようになって、少しずつテレビから「おもしろい日本語」が減っていった気がする。

それでも、うん。ぼくの日本語の先生は、間違いなくテレビです。


※サムネ画像は、食い入るように逃げ恥を見る犬です。