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暑いのか、熱いのか。

SF小説に冒険小説、犯罪小説から歴史小説まで。男くさい作家の、男くさい小説を読んでると、けっこうな割合で「拷問」を描いたシーンに遭遇する。

痛くて痛くてたまらない、怖くて怖くてたまらない、ある意味作家にとって、もっとも想像力を膨らませやすい、腕の見せどころとも言えるシーンだ。

読むたびにぼくは考える。いちばん嫌な拷問はなんだろう、と。


まず怖いのは、「末端」に関する拷問だ。

指の爪をはがすとか、歯にドリルで穴を開けるとか、指の骨を一本ずつ折っていくとか、からだの「末端」をいじめる拷問は、ひたすら怖い。あばらを折られても、お腹にドリルをあてられても、もちろん嫌はいやだけど、末端よりは我慢できそうだ。末端は嫌だなあ、と思う。

そしてもうひとつ嫌なのは、「熱」にまつわる拷問だ。

火あぶりみたいに極端な熱もそうだし、手足を縛られて砂漠に置き去り、みたいな話も嫌すぎる。嫌にもほどがある。冷凍庫とかツンドラ地帯とかで凍えるのは、まだいい。じっと身を固めて、静かにおとなしく最期を迎えられそうな気がする。けれども熱は、灼熱の暑さには、おとなしい最期というものが存在せず、じたばたもがき苦しみながら息絶えていく、みたいなイメージがある。


きょう、日本中で交わされているであろう「きょうは暑いねー」の挨拶。

みんな、ほんとに嫌な顔をしているのではなかろうか。そして、そこで嫌がっている「暑さ」とは、照りつける日差しの、痛みにも似た「熱」の嫌さではないだろうか。

こういう日があってこその四季だし、地球のめぐりなんだけど、まあ早いこと過ぎ去ってほしいなあ、きょうの日差し。