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彼の名は。

このところ、どんなに忙しかろうと、どんなに切羽詰まっていようと、土日のいずれかは完全休日をとるようにしている。当たり前といえば当たり前のことなんだろうけど、そんな当たり前ができるようになるまで、けっこう長い時間がかかった。

休む理由は、当然ながら愛息ぺだるである。

ひとはこれを「古賀さんも、ペットを飼ってから変わったね」と言う。それはそうかもしれないが、ちょっと待てよ、と思う。

はたしてうちの犬は「ペット」なのか。なんか違うんじゃないのか。そもそも「ペット」とはなにか。ものの辞書によるとペットとは「愛玩用の動物」であり、もう少しくわしい辞書によると「人間の生活にうるおいを与えるために飼育される動物の総称」なのだそうだ。

そりゃあ生活にうるおいを与えてくれているけど、その「愛玩」ということばの響きが気に食わない。できれば人間が主体の「ペット」ではなく、彼を主体とした「犬」ということばを使いたい。

わたしは犬を飼っている。

……と言って気になるのは、この「飼う」ということばに込められた、いささか不遜な響きだ。なにを生意気な。なんだその「お世話してあげてます」的な偉そうな物言いは。むしろおれは、犬のおかげで休日がとれるようになったんじゃないか。お世話されてるといっても過言ではないじゃないか。


ということで、わたしは犬と暮らしている。

人は人として、犬は犬として、同じ屋根の下、ともに暮らしている。

ことばを交わすことはできないけれど、ことばよりもずっとたくさんの気持ちを交換しながら、ともに暮らしている。

家族が増えたのだなあ、と思う。犬を擬人化しているのではなく、犬は犬のままに家族なのだ。彼の名は、古賀ぺだるなのだ。