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著者のあいさつより、むしろわたしは。

あと一歩なんだけどなあ。

いま、本の原稿の「おわりに」で手が止まっている。これは前々から思っていることなのだけど、そもそも本に「おわりに」は必要なのだろうか。小説は別として、実用書やビジネス書のほとんどは、目次の前に「はじめに」があり、最終章のあとに「おわりに」がある。このふたつってほんとに必要なのだろうか。

必要だよ、と多くの人は言うだろう。たしかに「はじめに」は、この本がなにを目的に書かれたどんな本なのか、端的に説明してくれるパートである。そして「おわりに」は、執筆裏話や読者へのメッセージ、関係各位への謝辞などで埋められる一種のエンドロールである。果たすべき役割は、それぞれちゃんとある。

でも、読みものとしてほんとにおもしろいのは、著者による「はじめに」や「おわりに」ではなく、たとえば翻訳書の「訳者あとがき」だったり、文庫本の「解説」だったりする。つまり、著者以外の誰かが「この本を読んだ感想」や「この本が出版されたことの意義」などを語ってくれたほうが、「なるほどなー」とか「そうそう、おれもそれ思ってたんだよ!」などと共感・感心できることが多々で、読んでいてたのしい。

そうだなあ。単行本の初版からいきなり巻末に(第三者による)「解説」が入るのは、きっとおもしろいよなあ。文庫になるときと違ってまだ社会的評価が定まっていない段階での「解説」だから、書くほうもむずかしいだろうけど、「なるほど、あなたはそう読みましたか!」なうれしさがあると思うんだよなー。


まあ、今回の本では無理にしても、いつかそういう構成の本、つくってみたいんですよね。見なおすべきところ、疑うべき常識、まだまだいっぱいあると思うんです、本って。