日本食の条件とは
「もはやカレーもラーメンも日本食だ」ということば。
たしかにそれはそうだろうと思うし、いまさら書くまでもない話なのですが、きのう、豚のしょうが焼きを食べながら思いました。「当然、これも日本食だよな」「っていうか、どこまでを日本食といえばいいのだ、ぼくらは」と。
たとえば、豚のしょうが焼きという料理ひとつをとっても、さすがに江戸時代からの伝統料理、というわけではなく、せいぜい明治期、たぶん戦後に生まれた料理なわけですよね。そしてきっと、ポークソテー的な西洋料理を模倣するなかで生まれた料理なのだろうと推察することができるわけです。浅草あたりの洋食屋さんで「ポークジンジャーでございます」と出されたら、なんとなく洋食を食ってる気にもなるでしょう。そうなると、どこまでが日本食で、どこからが海外の料理なのか、その区分はきわめてあいまいになります。
で、しょうが焼きをかじりながら気がつきました。
「しょうゆ、かな?」と。
すなわち、しょうゆによって味つけしたり、味を足したり、隠し味したりできるものは、もうぜんぶ日本食と言っていいんじゃないかと。
カレーもラーメンも餃子も炒飯も、なんならビーフシチューあたりまで、やろうと思えばぜんぶしょうゆを入れられる。ぼくなんかサラダもしょうゆで食えるから、キャベツの千切りは立派な日本食です。
だとすれば、うーん。もっとしょうゆを吟味して、産地や製法、保存方法なんかも気を配って生きるべきなのかなあ。そうすれば、食がもっと豊かになるのかなあ。
とりあえず「しょうゆ料理」はすべて日本食である、というどうでもいい仮説を胸に、この慌ただしい師走の入口をくぐり抜けたいと思います。