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わたしは搾取されているのか

『ビル・ゲイツ 未来を語る』からの引用、今日で最後になります。やっぱり最後はこの話題、出版の未来についてです。

 紙の本を一冊買った場合、代金の大部分は、作品の著者に対してではなく、製造コストと流通コストにあてられる。木が伐採され、すりつぶされてパルプになり、それが紙になる。その紙に文字を印刷したものを製本してはじめて本ができあがる。大多数の出版社は、すぐに売れると見込んだ部数をもとに資本を投下して初版を印刷する。現在の印刷技術では、一度に大量の本を製作するほうが効率的だからだ。初版の在庫に対する資本投下は、出版社にとって経済的リスクとなる。——初版部数が完売しないかもしれないし、もしぜんぶ売れるとしても時間がかかる。それまでのあいだ、出版社は倉庫に本を保管し、取次店を経由して小売書店に発送しなければならない。取次店も在庫に資本を投下し、そこから経済的見返りを期待する。
 消費者が買う本を選んでレジがチリンと鳴るまでの流通段階で、著者が得るはずの利益はどんどんすり減って、最終的にはパイの分け前がかなり小さくなってしまう。材木パルプを処理したものに情報を入れて運ぶという物理的な過程で、著作物の代金の大部分は消えてしまうのだ。わたしはこれを流通の「摩擦係数」と呼びたい。この摩擦が、出版されるタイトルの多様性の障害となり、著者にわたるはずの印税を切り詰める。
 おおざっぱにいって、情報ハイウェイの摩擦係数はゼロになる。情報流通の摩擦が消えることは、はかりしれないほど重要な意味を持つ。流通コストに対して支払われる金額はきわめて小さくなるから、いま以上に多くの著者たちに発言力が与えられる。
 グーテンベルクの発明した活版印刷は、流通摩擦に最初の大革命をもたらした。どんな情報も迅速に(相対的には)安価に流通させられるようになった。活版印刷は摩擦係数の低い複製手段を提供し、それによってマスメディアを生み出した。大量の書物は一般大衆を促して読み書き能力を身につけさせた。もちろんそれ以前にも、読み書きの能力があればできることはたくさんあった。商売の世界では、在庫品を記録し契約書を交わすことができた。恋人たちは手紙をやりとりできた。個人はメモをとり日記をつけられた。
 しかし、こうした個々の応用(アプリケーション)には、すべての人々に読み書きを身につけさせるだけの魅力がなかったのだ。読み書き能力を「インストールされた」人々がじゅうぶんな数に達しなくては、書き文字は情報を保存する手段として便利なものとはいえない。印刷された書物の出現によってはじめて、識字率が臨界質量(クリティカル・マス)を超えた。だから、逆説的な見方をすれば、活版印刷が人間に読み書きを教えたということもできる。

『ビル・ゲイツ 未来を語る』より

いまなお出版業界で語られている諸々の問題、ここにすべてが集約されていますね。とくに「流通の摩擦係数」という定義のあり方は、とても汎用性があってデジタルコンテンツの議論をわかりやすくするものだと思います。

ただ、どうなんだろうなあ。

ここで語られる「流通の摩擦係数」が減じた結果、著者の印税が増えていくんだ、という話。これ「いまの流通制度のもとでは、著者が不当に搾取されている!」と誤読されがちな話でもあるんですよね。

たとえば、20万部売れた本が1冊あったとしましょう。Aさんがそれを書いたと。でも、そのAさんの1冊を生むために出版社は、5000部くらいの本を10冊も20冊も出しているわけです。

つまり、21冊の本を出してようやく、30万部(20万部×1+5000部×20)の売上を確保する。21冊分の先行投資の上に、30万部のリターンを得ている。

この共済保険にも似た「21分の1としてのわたし」を考えることができれば、Aさんも搾取が云々なんてことは言わなくなるんじゃないかなあ。過去20人への投資があったから、あなたの20万部が生まれたわけで、出版社はいまようやく過去の投資額を回収しているだけなんだよ、と。

これってたぶん、企業の採用もまったく同じですよね。

で、これに対して「おれは出版社の人間じゃねえんだから関係ねえ」という人もいると思うし、それは正しいんですが、でもねえ。自分もかつては5000部の20人のひとりとしてキャリアをスタートしたはずだし、そんな素人同然の自分に投資して、打席に立たせてくれたシステムそのものに唾をひっかけるのは、次の世代になにも残さない態度じゃないかなあ。甘いんですかね、ぼく。

なんにせよ、「わたしは搾取されている」という発想は、あんまり前向きなエネルギーを生むものではないと思っています。実際に搾取に近いことがあったとしてもね。