A8387EE2-9E84-4C4E-9B0C-FBF54A6E6037のコピー

長文メールの書きホーダイ。

歯医者さんから予約確認メールが届いた。

明日の午前10時にあなたは当院に治療の予約を入れている。忘れることなく来院されるように。そんな内容の、きわめて短いメールだ。まるでガラケー時代のメールだな、と思った次の瞬間、ああ自分は携帯電話でメールを書くことがほんとうに苦手だったし、それはスマホに変わった現在も同じだな、と思った。さらに、むかしはパソコンでとんでもなく長いメールをあほみたいにたくさん書いていたな、と。

インターネット黎明期の固定電話回線には「テレホーダイ」なるプランがあり、いまでもNTTドコモの携帯電話回線には「カケホーダイ」というプランが残っているようだが、電子メールという伝達手段が登場したときのぼくは正真正銘「書きホーダイ」のよろこびに浸っていた。

いくらでも書けること。それを友だちに、無料で送れてしまうこと。そしてタイミングさえ合えば、その場で読んでもらえること。なんなら返事さえ、すぐに届いてしまうこと。

もともと対面での「言う」が苦手で、「書く」ほうがラクだったぼくにとって、電子メールは夢のようなインフラだった。長い長いメールを、いくらでも書いていた。相手の迷惑もかえりみず、書きホーダイだった。


やがて友だちとのメールよりも、仕事仲間とメールをやりとりする回数のほうが断然多くなっていく。友だちが減って仕事仲間が増えた、のではない。企業がオフィシャルサイトとそのドメインを持ち、従業員にメールアカウントを割り当てるようになり、電話とファックス中心だったさまざまなやりとりがメールベースなっていった、というもっとおおきな流れの話である。

さすがに相手が仕事先の人であり、用件も仕事絡みということになると、迷惑をかえりみないわけにはいかない。あまり無味乾燥になるのも失礼だろうけど、どうでもいい「思い」を延々書き連ねるのはもっと失礼というか、迷惑だ。しかも時代はモバイル・ネットワーク。外出先であっても早急なレスポンスが求められ、携帯電話のちいさな画面に慣れない手つきでちまちまと用件のみを書いていく。その8割が、ひと言「了解です!」だ。


ツイッターやフェイスブックも「書きホーダイ」といえばそうなんだけど、なんとなくタイムラインを汚すのは悪い気がして、「書きホーダイ」になれない。その点、この note という場所はずいぶん「書きホーダイ」している気がする。

20年以上前のあの日、頼まれもしない長文メールをがんがん書いていたのと同じ気分で、きっとぼくはこれを書いているのだ。