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首を長くして待ちたい

雑誌が売れなくなったと言われます。

実際、部数を見てもそれは事実だし、休刊や廃刊に追い込まれる雑誌もたくさんあって、逆らえない流れなんだろうなと思います。ぼく自身も、むかしほど雑誌に「頼る」ような生活はしていません。高校生のころとか、ほんとに頼りまくってたんですけどね。

雑誌のいいところって「待つ」ということにあると思うんですよ。

たとえば毎月1日発売の月刊誌があるとします。愛読している読者なら、たいていは発売日に読みます。当然おもしろいわけです、大好きな雑誌なので。ところが読み終えてからの1ヶ月間、読者にできるのは「待つ」ことだけなんですよね。隅から隅まで読み返して、来月号への期待をむんむんに膨らませながら、待つ。首を長くして、ひたすら待つ。

そして来月号が発売されると、本屋に飛び込み、むさぼるように読み込んで、自分が更新される。「先月号までしか読んでないオレ」と「今月号を読んだオレ」には明らかな差がある。成長と呼ぶのは大げさかもしれないけど、前に進んでる感がある。

雑誌がインターネットに取って代わられるなかで、ぼくらの生活スタイルは、特定の「雑誌=サイト」を読むというよりも「インターネットという雑誌」を読む感覚になっていきました。日々刻々と更新される情報を摂取して生きています。

そうすると、情報やらそれを求める欲望やらについて、「待つ」ことがむずかしくなってきます。少なくとも「首を長くして待つ」と呼べるような状況って、ずいぶん減ってるように思うのです。それこそ、いまのスター・ウォーズ最新作みたいな、大規模予算のコンテンツ以外では。


でも、あの「首を長くして待つ時間」のワクワクやドキドキを知ってる人間からすると、なんとかあの時間のおもしろさをもう一度つくりたいなあ、と思うんですね。自分自身にも「首を長くして待つもの」がほしいし、まわりからそう思われるものをつくってみたいし。

なんか最近、そんなことをよく考えています。

いいことばですよね、「首を長くして待つ」って。