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鮮度よりも大切なもの。

まあ、バズったことなんてないんですけどね。

2015年の1月以来、平日は休まず note を書いている。さきほど確認したところ、きょうの更新で1405本目なのだそうだ。あんな日もあった。こんな日もあった。書いてる場合じゃない、なんてな日もたくさんあった。それでもどうにか、続けられている。いつまで続くものだか、なかば他人事のように見守る自分がいる。やめるとしたらこの人、なんて言ってやめるんだろうなあ、と。

そういうふうに6年以上も日々の更新を続けていると、おもしろい法則を発見する。

たとえば書く前に、あるいは書きながら、「これはすごい大発見だぞ!」みたいに興奮することが、たまにある。自分はとんでもない発見をしてしまったのかもしれない、世界を揺るがす真理にたどり着いたのかもしれない、まだ誰も知らない「ほんとうのほんとう」を見つけてしまったのかもしれない。これを書いてしまったら、みんな大騒ぎするはずだ。……なんて感じで興奮しながら書くことが、たまにある。

けれど、そういうときにかぎって SNS 上の反応が薄い。そして「きょうはちょっと手を抜いちゃったかなあ」みたいにすらすらと書いたものが、やたら「いいね!」の連続だったりする。

このパラドックスについて以前は、「がんばって書いたときの原稿は、どうしても肩に力が入っているんだろうな、それが読みづらくなっているんだろうな」と思っていた。

しかし最近気がついた。

「うおおおお、これは大発見だあああ!!!」の勢いのままに書いた話は、練れていないのだ、単純に。まだ自分のなかで咀嚼しきれておらず、うまく言語化できないまま「見つけたぞおおお!!!」だけを叫んでいる。

一方、自分にとってなんの発見もない「手を抜いちゃったかなあ」の話は、これまでに何度も何度も考え抜いてきた話であり、そのぶん練られている。はじめて聞く人には「へえええ!!」だったりするし、少なくともバッチリ言語化できているため、納得しやすい。


まあ、見つけたばかりの考えを、勢いのまま(不完全なまま)に書けるのは「毎日更新すること」のおおきなメリットだけれども、仕事の原稿でそれをやっちゃうとまずいよなあ、ちゃんと考える時間、必要だよなあ、と思ったのでした。