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いつもの朝の一場面。

犬の朝は、忙しい。

人間が寝室から出てくるまで、ハウスのなかで丸まったまま、まだかなあ、と待ち続ける。人間が寝室から出てくる。隣の部屋で、パジャマを着替える音が聞こえる。トイレに行く音が聞こえ、水を流す音が聞こえる。あくびやため息が聞こえることもある。ようやく犬の部屋——人間がいうところのリビングルーム——に、人間がやってくる。おはようの挨拶もそこそこに、いまくらいの季節だったらまず、カーテンを開けてもらう。陽差しの差し込む特等席に陣どり、ぽかぽかを味わう。

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おひさまは、気持ちがいい。

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犬の気も知らずに人間は、「トイレは?」なんて野暮なことを言う。行きたくなったら行くよ、と思いつつもしぶしぶトイレに向かう。ぴっぴをして、その匂いをちょっとだけくんくんしたあと、ぷっぷをする。ぷっぷをすると人間は、ひとつぶの「ごほうび」をくれる。

出すものを出したからだろう。このあたりで少し、喉が乾く。空になった水飲み皿の前に立って「みず!」とアピールする。「いっぺんに飲みすぎるとまた『げー』ってなるからね」。ふたたび野暮なことを言いつつ人間は、水飲み皿に半分くらい、水を汲んでくる。べちゃべちゃべちゃべちゃ。ああ、冷たい水が喉から胃袋に流れていくのがよくわかる。全身を包んでいた眠気の膜が、きれいに溶けていく。

水を飲み終わるとまた、窓辺の特等席に行く。おひさまを浴びながら、トイレの後片づけをする人間の後ろ姿を、ぼうっと見守る。「後片づけが終わったらごはんだからね」。こころのなかで思いながら、じっと見守る。

視線を察した人間が、キッチンでごはんの準備をはじめる。ぴょんぴょん飛び跳ねてその姿を確認しようとすると、「飛ばない!」と注意される。あんまりジャンプしすぎたら、腰を悪くすると思っているようだ。それでもかまわずぴょんぴょんしていると、「ハウス!」の声がかかる。

これは自分でも不思議なのだけれど、人間から「ハウス!」の声を聞くと、身体が勝手にハウスへと向かってしまう。抵抗しようと、洗面所に行こうとしたり、トイレに行こうとしたりもするのだけれど、最後にはなぜかハウスに行ってしまう。ハウスのなかで、ごはんができあがるのを待つ。

そしてごはんがやってくる。人間が自慢気に「うちの特製」なんて言い張るごはんがやってくる。「よしっ!」。かけ声とともに、ガツガツガツガツ。勢いよく、ごはんを食べる。人間は「ねっとふりっくす」なんかを見ながらのんびりごはんを食べることが多いものだけれど、ぜったいにガツガツ勢いよく食べたほうがおいしいと、犬としては思う。

勢いよくごはんを食べると、げっぷが出る。「げぇ〜〜」と、わりと長い、本格的なげっぷが数分もしないうちに出る。その音を聞くと人間はげらげら笑い、あたまや胸を撫でてくる。なにがたのしいのかよくわからないけど、身をまかせる。

そうするうちに人間が身支度をはじめる。「おしごと」に行くのだという。似合わないメガネをかけ、白いマスクをつけた人間の姿は、とっても怪しいと犬は思う。玄関先で「おみおくり」をして、ひとつぶの「ごほうび」をもらって、「じゃあね」。人間は手を振り、玄関のドアは閉じられる。


やれやれ、まったく犬の朝は忙しいぜ。

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窓辺の特等席で犬は、ようやく訪れた静寂に耳を傾ける。