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インプットとアウトプット。

若いライターさんに、次のようなアドバイスをすることがある。

取材が終わったら、なるべくその日のうちに「今日の取材がどんなものだったか」について、誰かに話しなさい。誰に、なぜ、なにを聞いたのか。その人はどんな考えを持っていて、なぜそんな考えに至ったのか。それを聞いて自分はどう思い、なにを訊ね、どう納得したのか。そしてひと言でいえば、その日の結論はなんだったのか。

これらすべてを言語化することは、意外とむずかしい。記憶をたどり、要点をまとめ、文脈をつけ、理路整然と語っていくのは、ほとんど「書く」のと同じ作業だ。でも、これをやってみて「うまく言語化できない自分」に直面することを通じて、ようやく「わかったつもり」から抜け出すことができる。自分はまだ、なんにもわかってない。じゃあ、わかろう。もっとわかるための努力をしよう。そんなスタートラインに立てる。


たぶんこれはライターにかぎった話ではないと思うのだけど、むずかしい話を上手にインプットできたとしても、それは「わかった」とは言えない。自分のことばでアウトプットできるようになったとき、ようやく「わかった」と言える。

そう考えればぼくは、わかってないことだらけだ。せめて本として書くことだけは、ちゃんと「わかった」うえで書きたいなあと思う。