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わたしはこいつのファンです。

なかなかにむずかしく、ひょっとしたら恥ずかしい話なのだけど。

自分の書いた原稿を、誰かにほめられるとうれしいですよね。「最高」とか「すごいなあ」とか「さすがですねえ」とか、言われると悪い気はしないというか、へらへらする自分もいますよね。

ただ、それだけをあてにして生きているかというと、ぼくの場合はそうでもないみたいで。まわりからの拍手がそれほど聞こえなかったとしても、自分なりに満足すること、多いんですよ。野球でいうと、でっかいホームランを打つことがいちばんの理想なんだけれど、たとえ空振りしたとしても、自分で「いやあ、いまのは気持ちのいいスイングだったなあ」「あれでボールに当たってたら、どこまで飛んだんだろう」とスイングそのものを喜んでいるようなところが、ぼくにはあるんです。


で、これはいったいどういうことなんだろうと考えた結果、わかりました。誤解されるのを承知で、臆面もなく言っちゃうけど、ぼくはぼくのファンなんですね。ファンのひとりとして、自分の原稿を読んでいる。ファンのひとりとして、自分の原稿をたのしみに待っている。がっかりするときも、首をかしげるときも、やっぱりファンとして、そうしているんです。

これ、「おれは自分のことが大好きだ」というナルシシズムとは少し違っていて、「どうもおれは『こいつ』のことが案外好きだぞ」という客観や俯瞰の話なんです。


そのうえで大切なのは、「読者としてのおれ」が信頼に足る人物であるかどうか。読者としての軸が定まっていない人が「おれはおれのファンです」と言っても、そりゃあ自分に甘いだけの人になっちゃいます。

自分が自分のファンじゃなくなったら創作なんてできない気がするし、その自分が信頼のおける読者や観客でなくなったら、そんなやつの声なんていらないわけだし。

たぶん図にして書くともうちょっとすっきりするんだろうけど、なんか急にそんなことを思ったのでした。