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技術や能力よりも大切なこと。

仕事や人付き合いを、サッカーになぞらえて考える。

サッカーにはレッドカード、それにともなう「退場」というルールがある。退場した選手を、別の誰かで補充することはできない。退場者を出したチームはその後、10人で戦うことを強いられる。ところが、これがサッカーのおもしろいところで、10人になって数的不利になったチームがかならず負けるかというと、そうでもない。いや、統計的には負ける確率が高いだろうけれど、10人になりながらも勝つことは、ままある。大接戦の末、引き分けに持ち込むことも多い。ひとりが抜けても、どうにかなっちゃうものなのだ、サッカーという競技は。

だから、というわけではないけれど。

たとえばおおきな期待を受け、ヨーロッパの強豪チームに移籍した日本人選手が、試合に出場する。ところが試合中、なかなかその選手にボールが回らない。テレビ中継の日本人解説者は「あー。いまの場面なんか、逆サイドに○○(日本人選手)が空いてたんですけどねえ。もったいない」みたいな発言をする。観ているぼくらもそう思う。なのに、なかなか日本人選手にボールが回ってこない。あたかも10人で戦っているような展開になることもしばしばだ。いじめでも差別でも新入りへの洗礼などでもなく、これは「信頼」に関わる話である。

チームメイトから信頼された選手には、ちゃんとボールが回る。信頼の薄い選手にはボールが回ってこない。もちろんここには、「あいつにボールを回しておけば、なんとかしてくれるだろう」という技術面での信頼もおおきく絡む。しかし、メッシだろうとクリスチアーノ・ロナウドだろうと、失敗するときには失敗する。相手にボールを奪われ、大ピンチを招くこともある。

信頼の幹を支える根っこは、じつはここにある。

つまり、「たとえあいつがボールを奪われても、おれが挽回する」と思わせるような「あいつ」であること。「あいつのために汗をかくことを、おれはいとわない」と思わせるような「あいつ」であること。それがあるからこそチームメイトから「よし、お前にまかせた!」のボールが回ってくるのだ。逆に言うと移籍直後の外国人選手は、なかなか「あいつのために汗をかいてもいい」と思われるに至らないのである。

じゃあ、どうすれば「あいつのために汗をかいてもいい」と思われる選手になれるのか。それだけの信頼を勝ち取ることができるのか。


やっぱり「あいつはおれのために、これだけ汗をかいてくれた」との実感だけが、その信頼を育てていくのだとぼくは思っている。

信頼とはある意味、「献身の循環」なのだ。