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自伝ではない「ライフ」。

日曜日だったきのう、全23回にわたる連載が終了した。

NewsPicks の「イノベーターズ・ライフ」という連載だ。さまざまな分野の巨人たちが、幼少期から現在にいたるまでの道のりを包み隠さず語っていく、自叙伝的な企画である。今回は糸井重里さんが登場し、ぼくはそのライターとしてお話を聞かせていただいた。

自叙伝的、と書いておきながら、これはいわゆる自伝・バイオグラフィーとは少し違う。たぶん、別のライターさんや記者さんが同じテーマでインタビューしていったら、また違う内容の話になるだろう。あるいはぼくが5年後に同じテーマでインタビューしても、違った内容になるだろうし、違ったエピソードが語られるだろう。


つまり、どういうことかというと、ここにあるのは「糸井重里の自伝」ではなく、ただ「2017年のある日、『ぼくの人生』をテーマに語り合ったこと」の記録なのだと思う。年表的な「人生」そのものを正確に書き起こすことが目的なのではなく、さまざまな「あのときの自分」を題材としながら、自分が大切にしてきたことや、大切にできなかったことなどを語り合う、「いま」の話が、この連載なのだと思う。


歴史は常に勝者によって編纂され、さまざまな数字は勝者の自己正当化のため改竄され、敗者はいつも悪役として歴史にその名を残す。

個人史にこれを置き換えると、勝者とは常に「いまのおれ」であり、人は「いまのおれ」を正当化せんがため、自分の選んだ道を舗装して、なかったはずのレールを敷いていく。選ばなかった道に汚物をばらまき、藪で覆い隠す。

世にあふれる「成功者の自伝・評伝」がどこか気持ち悪いのは、その矛盾に満ちていたはずの半生に、理解や物語化の補助線として「なかったはずのレール」を敷き、そこに唯一の道があったかのように描いてしまうからだ。


今回糸井さんは「ここまで続く一本道」としてご自身を振り返るのではなく、そのときそのときの「ぼくはこう思っていた」を真摯に語ってくださった。過度に否定することも肯定することもせず、淡々と振り返り、「いま言えることがあるとすれば」を考え、ことばにしてくださった。みずからの自伝を語るのではなく、「ライフ=人生、生活、生命」そのものを語ってくださった。


自分自身の聞き手や書き手としての力量不足を反省しつつも、ほかにはない、とてもいい連載になったと思っている。

糸井さん、ほぼ日のみなさん、NewsPicks のみなさん、どうもありがとうございました。