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わたしの原稿、みんなの本。

取材・執筆・推敲』の束見本が上がってきた。

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判型は一般的な単行本(四六判)よりもひとまわりおおきいA5判。

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束(本の厚さ)は、『嫌われる勇気』のほぼ倍! ふつうにつくったら軽々と500ページを超える文量だったのだけど、判型をおおきくすることで480ページに着地。まだ装丁(書影)を公開できないのが残念なのだけれど、そして公開できるタイミングになったらその思い入れをたっぷり語りたいのだけれど、ほぼすべての人が「まじで!?」と驚いてくれる、そして数秒・数十秒後には深く納得してくれるはずの、すばらしい装丁ができあがりつつある。原稿が「本」になっていく、いちばんスリリングでたのしい時間だ。


と、ここから、以前にも書いたはずの話を書こう。

いまから10年くらい前だっただろうか。「あれオレ詐欺」ということばが、少しだけ流行った。なんらかのヒット商品、ヒットコンテンツ、ぼくらの世界でいえばミリオン級の大ベストセラーなどに対して、ほとんど関わってもいない人、関わったとしてもほんのちょっと触れた程度の人が、飲み会などの場で堂々と「あ、あれオレ。オレがやったの。ま、大変だったけどねー」などと自慢気に語る現象を揶揄したことばである。

でもぼくは「あれオレ」、おおいにアリだと思っている。たとえば『嫌われる勇気』という本にしても、決して著者(岸見一郎さんとぼく)の専有物でもなんでもなく、編集のカッキー、ブックデザインの吉岡秀典さん、挿絵を描いてくれた羽賀翔一さん、フォントディレクションの紺野慎一さん、校閲の鷗来堂さん、ダイヤモンド社側の編集を担当してくれた今泉憲志さん、あるいはダイヤモンド社の営業やプロモーションに奔走してくださったみなさん、書店員のみなさん、印刷所や製本所のみなさん、書評やレビュー記事を書いてくれたみなさん、誰かに「これおもしろいよ」と奨めてくれた読者のみなさん、その他いろんな方々にとって「オレがつくった本」であり、「オレが育てた本」であり、すなわち「オレ」や「わたし」の本なのだと、ぼくは本気で思っている。むしろ、そうやってたくさんの人たちに「あれオレ」の誇りを持ってもらえるような本をつくることが、自分の仕事だと思っている。だって、誰ひとりとして「あれオレ」を名乗り出てくれないような本もたくさんあるのだから。

とくに今回の『取材・執筆・推敲』は、ぼくの個人的な思いから出発した本なのだけれど、いま少しずつ「みんな」の本としてのかたちが見えてきた気がしていて、とてもうれしい。数年後、あるいは数十年後、ぜひとも何十・何百・何千という人たちに「あれオレ」の誇りを語ってもらえたらと思っている。