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昆虫採集する親子。

犬の散歩はぼくにとって、社会とのだいじな接点だ。

たとえばこの季節、犬の散歩でおおきな公園に行く。すると、虫取り網を握りしめた親子連れがたくさんいる。木々の一本一本に目を凝らし、「いたいた!」「ほら、こっち!」みたいなことを叫んでいる。子が親を呼ぶこともあれば、親が子を呼ぶこともある。むしろ親のほうが夢中になっていることもしばしばだ。

犬と暮らしはじめる以前、ぼくはこうした巨大な、緑豊かな公園をふらふらすることが皆無だった。トータルで半年くらい、ランニングしていた時期はあるけれど、それはふらふらではない。ランニングコースを機械的に走り、身体が冷えないうちに退散する。公園を走っているのではなく、ランニング用の道を走っているだけだった。

なので冒頭のような「セミやカブトムシを捕まえにきた親子」に関する説明を受けた際、たぶんポロシャツにメガネ、ベージュのショートパンツなんかを穿いたお父さんと、野球帽でもかぶった男の子あたりの姿を想像したと思う。

しかし実際に現在ぼくが遭遇している親子連れは、お父さんもお母さんもいれば、お兄ちゃんも妹もいる。お母さんと兄妹、という組み合わせもめずらしくなく、いちばんおおよろこびしているのは女の子であることも多い。

取材ってだいじだなあ、と思う。勝手なイメージで「昆虫採集する親子」を描いたら、間違った描写をしてしまうだけでなく、「いまの家族像」を考えるきっかけさえもつかめなくなる。足を運ぶ。自分の目で見る。話を聞く。それがあってようやく、なにかを考え、なにかを描くことができるのだ。


余談ですが、ちいさいころ(小学1〜2年)にぼくは、セミに血を吸われたことがあります。「げんごろう」と名づけて虫かごで飼っていたセミを取り出したところ、あの口のストローみたいなやつをブスッと指に刺し、ちゅーちゅー血を吸いやがったのです。ぎゃーっと叫んで払いのけたら、血がだらだら流れました。以来、セミが怖くてつかめません。