短距離走か、長距離走か。
陸上競技に100メートル走とフルマラソンがあるように、それぞれの選手を一概に「足が速い」とは言えないように、原稿にも短距離走めいたものと、フルマラソンめいた原稿がある。
いまのぼくの感覚だと、数千字レベルまでは短距離走。数万字以上になればフルマラソン。長らく単行本ばかりを書いてきたせいで、いつの間にかぼくは短距離走が苦手になってしまったようだ。
数千字までの短距離走がむずかしいのは、たとえ話をひとつ変えるだけで、重複した説明をひとつ削るだけで、もっといえば接続詞や形容詞のひとつを変えるだけで、全体の印象がガラッと変化してしまうこと。
これが数万字以上の原稿になると、ひとつひとつのことばを吟味するのは当然ながらも、5文字を変えたおかげで「全体」が揺らぐようなことは、原則としてない。だから推敲に推敲を重ね、いくらでも転がしまくることができる。朱を入れれば入れるほど、もっといいものに近づくような気分になれる。
ところが短い原稿で推敲をやりすぎると、「細部」はよくなるのに「全体」がぐらぐらに揺れ、けっきょく自分がどんな完成図を思い描いていたのか、よくわからなくなる。
じゃあ、短い原稿は書きっぱなしがいいのか?
そんなはず、ない。
書きっぱなしの短い原稿は、ちいさな穴がいくつも空いてるし、穴から空気がすかすか抜けて、なんとも締まりのない読みものになってしまう。
きっと100メートル走のトップアスリートみたいに、息を止め、全力で走り抜ける集中力が必要なのだろう。集中力だけが、短い原稿の穴を埋めてくれるのだろう。推敲でどうにかしようと思うのは、やめたほうがいい。それは、長距離走者の発想だ。
というわけで現在、短距離走の原稿にめっちゃ苦しんでいます。せっかくなのでどんだけ苦しめるものか、とことん味わってやるつもりです。