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すべてのサイズがLになる。

この note を書くとき、ふだんはぜんぶ書き終えてからなんとなくのタイトルをつけてアップすることが多い。

書き終えた開放感や、さっさと終えて本来のお仕事に戻りたい焦りなどが相まって、かなりいい加減にタイトルをつけていると思う。そしてきょうはたまたま、タイトルが先に浮かんだ。「すべてのサイズがLになる」。それ以上でもそれ以下でもない、中年太りが進行しつつある自分の、服飾に関する雑感だ。

ほんとはここからM寸ばかりを買い、なんならS寸の服さえ着こなしていた元スポーツ少年の自分が、いつしか「動きにくい」という元東京都知事的な理由からLサイズの洋服を買うようになっていった流れ、その悲哀、などを書こうかと思っていた。けれども変更して、「タイトル」について考えてみたい。


すべてのサイズがLになる」は、わりかしいいタイトルだと思う。

もちろん元ネタは森博嗣さんの「すべてがFになる」なのだけど、こういうオマージュとかパロディとかはあんまり好きじゃないのだけど、いいタイトルだと思う。言いたいことのすべて、書いてあることのすべてが、端的でリズミカルなことばのなかに集約されている、という意味で「いい」タイトルだ。


いいタイトルの本は、そのタイトルだけで「読後感」を持つ。

目次のひとつさえ見ていないのに読んだつもりにさせ、「そうだよね」や「そうなんだ!」を与え、読まないうちから「この前、こんな本を買ってさあ」と誰かにしゃべりたくなる、そんな力を持っている。


一方で駄目なタイトルの本は、読者に謎を投げかけたつもりだったり、読者の不安をあおったつもりだったり、読者が求める情報を詰め込んだつもりだったりしながら、なにひとつ「読後感」を持たない。それがすべてだとは言わないけど、例外を引っぱり出せばたくさん出てくるけど、いいタイトルか否かを測る基準のひとつは「読後感の有無」だというのが、ぼくの見解だ。

その意味でいうとここ数年、ビジネス書まわりで「いいタイトル」の本にあまり出会っていない気がする。いちばん最後に「こりゃあすげえタイトルだ!」と驚いたのは、西内啓さんの『統計学が最強の学問である』かなあ。あれはもう、読後感ありまくりのタイトルでしたね。


それにしても日々の note にタイトルつけるの、意外と面倒な作業ですよ。