見出し画像

日本でいちばん強そうな服。

最近、ぶかぶかのパーカーを購入した。

生地も着心地もよく、なかなか気に入っているのだけど、そのぶかぶかさがどうも、ヒップホップ的なチンピラ感を醸し出しているような気がしないでもない。いわゆるところのギャングスタ・ラップな、ヘイヨーな、ブラザー感。そう見えるのだとしたらちょっと、困るなあ。中学時代からヤンキーの友だちは多かったものの、ぼく自身がヤンキーに流れたことはない。

誤解を承知でいえば、ヤンキーの生活はたのしい。ぼくが中学生だったころの地方都市、その公立校では、勉強ができるやつよりもヤンキーのほうがモテていたし、先輩たちとの接点も多く、「大人」に近づきやすかった。教師たちもヤンキーには一目置いていたというか、手懐けようとすり寄ってくる場面もしばしばで、少々のルールを破っても大目にみてもらえていた。体育の授業などでぼくら運動部に負けそうになった場合も、負けを予感した瞬間に「かったりーんだよぉー」と勝負を放棄すれば、なんとなく引き分け以上を装うことができた。

それでもぼくがヤンキーに流されなかった理由のひとつに、ファッションがある。とくに当時のヤンキーたちは、好んでチンピラ的な、龍や虎の刺繍が踊る威嚇的な、けれども生地はぺらぺらの、ハリウッド映画ではぜったいに見かけないような閉鎖的ファッションに身を包んでいた。

おそらく彼らは、カッコイイと思ってあのような服を着ている。街の洋品店に出向き、「おお、虎や」なんて喜び、それを購入している。なぜだろう、なぜかしら。長年の謎が、昨夜解けた。


彼らにとっての「カッコイイ」とは、「強そう」とほぼイコールなのだ。

「カッコイイ服を着たい」の思いが、そのまま「強そうな服を着たい」になり、結果としてあのような服を着せている。任侠映画の影響も大きいのだろうけれど、日本においてはあのような恰好が「強そう」なのだ。


で、どうして昨夜それに気づいたかというと、帰宅途中にほんとうの「強そうな服」を着た人たちと遭遇したからである。さほど広くない道を歩いていたところ、正面から3人組の男たちが横一列に並んで歩いてきた。このままお互いまっすぐ進めば、正面衝突してしまう位置関係。ぼくか、3人組か、どちらかが道を譲って歩かなければならない。ぜったい譲ってやるもんか。胸を張って、気持ちも張って歩き出そうとした瞬間、ぼくのこころはしゅるしゅる萎えた。それと気づかれないほどのスムーズな動きで、道を譲った。勝てるわけがねえ、である。

3人組の男たちは、揃いのトレーナーを着ていた。そのトレーナーにはおおきく、こんなロゴが踊っていた。




日体大
NITTAIDAI



うん。強そうな服がほしい人、街でチンピラに絡まれたくない人。そういう人はみんな、日体大のジャージを着ればいいんじゃないかな。なんならちょっとほしいもん、ぼくも。