見出し画像

シャッフル再生のことば。

いま、タイトルについて考えている。

ひとまず『ライターの教科書』と呼び合っている、進行中の新刊のタイトルを考えている。「ライターの教科書」ということばはタイトルというよりもコンセプトに近く、できれば別のタイトルを思いつく自分がいてほしいと、前から思っていた。そして昨夜、ひとつの案が浮かんだ。いまは自分のなかで揉みながら、馴染むか馴染まないか様子を見ているところだ。

* * *

たとえば毎日書く note について、ぼくはわりと地味なタイトルをつけている。人に聞かれたときにはそれを「バズらないタイトル」と説明している。バズりたくて書いているわけでもないし、むしろバズりたくない。少なくともいまのところ、ぼくは自分の住民票や本籍地を SNS の上に置いた人になりたくないのだ。

また、これは完全に好みの問題なのだけど、ぼくはタイトルを読後感の構成要素だと考えている。理想的なのは、一冊の本を読み終えて本を閉じたときに、そのタイトルの意味や響きがすーっと心に入ってくる感じだ。いちばん避けたいのは、読み終えた読者が「タイトルとぜんぜん違うじゃねえか!」と憤慨する事態だ。バズりやすいタイトルの大半は後者であることを恥じないというか、狙ってそれをやっている感じがどうも個人的にもやもやしてしまう。

* * *

ちなみに先日、新刊の準備の一環として、過去に書いた note をざっと追ってみた。1000本以上あるそれは、「これってなんの話を書いたんだっけ?」というタイトルばかりだった。もちろん読めば、「ああ、たしかにこれ書いたわ」と思い出す。その感じはちょっと、iTunes のシャッフル再生に似ていた。「ああ、たしかにこれ持ってたわ」みたいな。