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グレッグ・オールマンの思い出。

たしか1997年の終わりだったと記憶している。

はじめての上京、はじめてのひとり暮らし、はじめてのパソコン、そしてはじめてのインターネット。いろんなことが重なる冬だった。多くの人がそうであったようにぼくは、インターネットという扉の前に立ち、まずは自分が好きなミュージシャンの名前を入力した。


オールマン・ブラザーズ・バンド。


このときの興奮と感動を、どう言葉にすればいいだろう。語られ尽くした話をしよう。インターネット以前、「情報」とは桃太郎の桃みたいなもので、ぼくらは桃太郎のおばあさんだった。すなわち情報とは、むこうから勝手に流れてくるものであり、こちらは流れてきた情報をたまたまキャッチする以外に取得の方法がなかった。桃太郎のおばあさんよろしく、ラジオの深夜放送にかじりつき、ひたすら「そのとき」を待つ。それが情報と接するにあたっての基本スタイルだった。

もう少し具体的な話をしよう。たとえば、運命のいたずら的ななにかによってオールマン・ブラザーズ・バンドという人たちのことを好きになる。彼らのことをもっと知りたくなる。でも、メディアという流行の河川にはオールマンなんて流れていない。「レコードコレクターズ」とかの雑誌を毎号買って、オールマンと付き合いのあった人びとの記事を舐めるように読み尽くす。そして数年に一度のサザンロック特集号みたいなものを心待ちにする。そんなこんなでようやっと、点と点が結ばれ、線と線が面になり、不格好ながら立体的な「おれのオールマン像」が浮かび上がってくる。

ところが、インターネットの検索窓に「Allman Brothers Band」と入力してしまえば、自分から情報を取りに行けるのだ。川に飛び込み、上流にのぼって巨大な湖のなかからバンバン関連情報を引き上げることができるのだ。「そんなの当たり前じゃないか」と言われるかもしれないが、ぜんぜん当たり前じゃないのだ、これは。

あの日、ありとあらゆるオールマン・ブラザーズ・バンド情報に接しながらぼくは、偶然にも数ヶ月後、グレッグ・オールマンが来日することを知った。自身のソロバンドを引き連れて、ブルーノートにやってくるのだという。

あわててチケットを購入したぼくは「インターネット」と「東京」のおそろしさに震えっぱなしだった。ここにいて、これがあればなんでもできるじゃん、と思った。

* * *

ライブ当日。ブルーノートに足を運ぶぼくは、ひょっとしたらこの会場でいちばんオールマンのファンなのは、自分じゃないだろうかと思っていた。海賊版含め、市場に出回っている音源はほとんどぜんぶ持っているし、自分でもあきれるほど聴き込んでいる。前身バンドだとか、兄デュアンが「スカイドッグ」と呼ばれるスタジオミュージシャンだった時代の音源なんかも、ほとんどぜんぶ持っている。周辺のストーリーも、日本語化されたものはぜんぶ読んでるはずだ。

ブルーノートでは、テーブル席でお酒を飲みながらライブ鑑賞する。開演前、たまたま同じ席に座ったおねえさんと目が合う。泥酔キャラだった当時は、酒さえあれば誰とでも仲良くなれていた。当然おねえさんに話しかける。よくわからずに来たんだろうけど、まあぼくがオールマンのこと教えてあげますよ、的な態度で。

しかし、だ。

このおねえさん、筋金入りのオールマン狂だったのである。

なんでもツアーのたびに全米を帯同し、当然のように楽屋への出入りも認められ、もちろん英語がペラペラなのでグレッグやディッキーらのメンバーたちとたくさんのおしゃべりをして、互いをファーストネームで呼び合っているのだという。さらに、全身にタトゥーを入れた彼らは、タトゥーがヤクザの象徴のように見られる日本が好きではなく、おそらくオールマン・ブラザーズ・バンドとしての来日はありえないこと、グレッグの来日もこれが最後になるであろうことなどを教えてもらう。


井の中の蛙って、こういうことか。世界は広いなあ、おれはちっぽけだなあ。

* * *

いろんなことを教えてもらったグレッグ・オールマンの来日公演。ひとつのバンドをほんとのほんとに好きになると、その「好き」の周辺でたくさんのことを経験して、思い出が増えていきますよね。