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#ワールドカップ
あれやこれやとワールドカップ。
仕事から健康、親の恩に至るまで。
ありがたみとは一般に「なくしてわかる」ものだとされている。そのお説教をなぞるようにいうと、たしかにありがたかったなあ、と思う。夢のような季節だったよなあ、とへらへらする。今週からぼくが(ぼくらが)なくしてしまったもの。そう、サッカーW杯の話である。相も変わらずぼくはまだ、あの余熱にあてられている。
アンチ・スーパースターの時代。フランス対クロアチアの決勝戦。多
選ばれし者どもの1週間。
よのなかには、これは経験者にしかわからないだろう、という感情がある。
きのうのサッカーW杯ロシア大会準決勝、フランス対ベルギーを観ながら、ぼくはある感情を思い出していた。試合中ではなく、試合後ではなく、試合前の中継映像を観ながら、ぼくは18歳の自分を思い出していた。
数少ない杵柄のひとつなので前にも書いたことがあると思うけれど、ぼくは高校3年生のとき、サッカー部で県大会優勝を果たした経験をもっ
本気でくやしがるために。
こういうメンタルが、もうダメなんだろうか。
サッカーW杯・ロシア大会。決勝トーナメント1回戦、対ベルギーの試合が終了した。後半のあたま、続けざまに2点を先制しながら、その後3失点を喫し敗れてしまった。得点経過だけ見れば、十分に勝てたはずの試合だ。あの日のポーランド戦で監督・選手がくり返した「結果がすべて」の原則に照らし合わせるなら、くやしくてたまらない結果だ。けれどもぼくはいま、本気でくやしがる
自分の判断に迷うとき。
これについてあのひとは、どんなふうに思ったのだろう。
たとえば好きな監督の新作映画を観たとき、誰かの新刊を読んだとき、たのしみにしていた新譜を聴いたとき、そんなふうに考えることがある。理由は簡単だ。「素直によいと思えなかったから」である。その作家やアーティストのことが大好きで、新作をたのしみにしていたにもかかわらず、心からよいとは思えなかった。けれども駄作と断ずるほどの確信もなく、どうにも判断に
あこがれのサッカーファン。
「正直、勝つのはむずかしいと思いますが、がんばってほしいです」
ワールドカップの試合前。もしも試合予想を問われ、そんなふうに答える解説者がいたら、けっこうな嫌われ者になるだろう。抗議の電話やメールが殺到することも考えられるし、場合によっては次から呼んでもらえないかもしれない。別に彼は、間違ったことを言っているわけではない。ただ「縁起でもないこと」を言っているだけだ。試合を前にしたファンは、そして