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2021年3月の記事一覧
料理をつくるように、それをつくろう。
毎日のように最近、焼きそばをつくっている。
豚バラ肉とカット野菜があればできてしまう、包丁のいらないフライパン料理として焼きそばを、大変重宝している。基本的には麺についてる粉ソースで十分おいしく食べられる舌なのだけど、さすがに何日も続くと味変をしたくなる。塩焼きそばにしたり、豆板醤をふんだんに使った辛味焼きそばにしたり、いろいろだ。そして最近、「これがいちばん好きかもな」という味にたどり着いた。
ノイズキャンセリング・ブック。
来週発売になる『取材・執筆・推敲』の、見本が上がってきた。
シンプルすぎるほどシンプルな、作為や煽りやノイズの類いを極限まで削ぎ落とした、すばらしい装幀に仕上げていただいた(写真がけろけろへたっぴなのはご愛敬)。
帯文は、柿内芳文。そして彼の書いた「100年後にも残る」ということばと正面から向き合い、時代に流されようのない装幀に仕上げてくださったのは水戸部功さん。以前から一度はお仕事してみたか
マラソン仕事の走りかた。
作者もタイトルも忘れてしまったお話である。
小学生のころ、国語だったか道徳だったかの読みもので、校内マラソン大会に出る男の子の話を読まされた。マラソンが苦手な彼は、到底完走できる気がしなかった。そこで彼は、ゴールのことを横に置いて、目の前の電柱に意識を集中した。「せめてあの電柱まで」と走る。そして電柱を越えると、もうひとつ先にある電柱を見て「なんとかあの電柱まで」と走る。そんなこんなをくり返して
ぼくはコーラを、飲みたかった。
去年か一昨年くらいに読んだ記事だ。
たしかアメリカで、「健康の秘訣はドクター・ペッパーよ」と豪語する長寿のおばあちゃんがいた。ニュースになるくらいの長寿なのだから、100歳を超えていたのかもしれない。「お医者さんはみんな、身体によくないからとドクター・ペッパーを辞めさせようとしたけれど、彼らはみんな先に死んでしまったわ!」。そんな決めゼリフとともに1日1本のドクター・ペッパーを欠かさないおばあち
感想戦とは推敲である。
感想を練るのが、好きだ。
きのう、ほぼ日さんの「贋くらぶはうス」と題されたイベント(?)に参加させていただいた。アーカイブを残さない、その場かぎりの、ラジオみたいな音声配信コンテンツだ。語り合うテーマは、西川美和監督の『すばらしき世界』。糸井重里さん、ハッシャダイの三浦宗一郎さん、編集者のひのなおみさん、という不思議なメンバーに加えて、なんと西川監督まで電話参加してくださる大興奮の「おしゃべり」
種を蒔くこと、その肝要。
やるべきことがあるのは、いいことだ。
あと2週間で、新刊『取材・執筆・推敲』が発売になる。今週の金曜日には刷り見本が上がってくる。本づくりという意味からするともう、やれることは残っていない。ひとりでも多くの方々に手に取ってもらえるよう、プロモーションに尽力するくらいだ。とはいえ、いわゆるインフルエンサーの定義に当てはまらないぼくが「ひとり」でできることは少なく、要するにあまりやることがないのが、
共同作業のプロフェッショナル。
とんかつ屋でひとり、昼ごはんを食べていた。
となりの席のふたり組が、ずっと庵野秀明さんのことを語り合っていた。やがてそのふたりが会計を済ませ、別の男女が席に着いたのだけど、その人たちもやはり、庵野秀明さんのことを語り合っていた。きのうNHKで放送された「プロフェッショナル 仕事の流儀」庵野秀明特集の感想である。語る、語る、みんながそれぞれ、感想を語る。
庵野監督には以前に一度、取材させていただ
苦しいときの乗車券。
たまにはまじめな話をしてみよう。
誰だってたぶん、お先まっ暗、みたいな気分になることはある。どうしようもなく落ち込んで、なにもかもが嫌になることはある。真剣に、まじめに生きようとしている人ほど、それはあるだろう。いや、へらへらして見える人ほどじつは、誰にも言えない悩みを抱えていたり、まじめな相談ごとをする人や場面を持ちえていなかったりするのかもしれない。毎日のように落ち込んでいる人は、ある意味「
長大なコラム集としての辞典。
無人島に持っていく一冊。
インタビューやアンケートでしばしば問われるこの質問、あなたならなんと答えるだろうか。もっとも無難なのは、古典文学である。『源氏物語』でもいいし、『アンナ・カレーニナ』でもいいし、『ユリシーズ』や『失われた時を求めて』でもいい。厳密にいうとどれも「一冊」ではないけれど、そこもまあ「一作」ということで許されるだろう。
これら古典よりもかっこいいのが、辞典である。「辞典はわ
論理的であることと、理屈っぽくあること。
食後にコーヒーを飲む。
コーヒーにはカフェインが含まれている。そしてカフェインには胃液の分泌を促す作用がある。つまり、食事をとったあとにコーヒーを飲むと、消化を助け、からだをラクにしてくれる。なんとなく習慣になっている食後のコーヒーは、じつはそこそこ理にかなった行為なのだ。いや、むしろ生理学的な意味で理にかなっていなければ、このような習慣が根づくはずがないのだ。
……といった言説を目にして、じ
「飲む点滴」から転びに転んで。
最近、毎日「あまざけ」を飲んでいる。
なにかしらの健康・美容効果を求めて飲んでいるのではなく、ただ味が好きで飲んでいる。そのまま飲んでは甘すぎるので、1・5倍くらいに希釈して飲んでいる。おれのことだ、そのうちきっと飽きるだろうと思いながらも、朝と晩に飲んでいる。
いま、あまざけを販売している通販サイトにいくと、ほとんどかならずどのお店でも、「あまざけは『飲む点滴』とも言われるほど……」と、その
ものの食べかた、話の聴きかた。
好感度、ということばとは少し違って。
なぜか好かれる、という人たちがいる。話術にすぐれているわけでもなく、絶世の美男美女ってわけでもなく、媚びたりへつらったり処世の術に長けてるわけでもなく、なぜか好かれる人。弟性や妹性、または後輩力とでも呼ぶべき力に富んだ人。
そういう人たちの多くは、「ものの食べかた」に、好かれる要因があるのではないかと思う。出された料理をおいしそうに食べる力。そして——たぶ
鑑賞の心構え。または鼻炎薬の教訓。
たとえば腹が痛くなったとする。
いざってときの常備薬、ラッパのマークの正露丸を飲む。するとほとんどの場合、1分と経たないうちに腹が落ち着く。いや、本気で腹を下したりした場合には当然そうはいかないのだけど、たいていの腹痛——というか腹にうごめく不安感——は、飲んですぐにおさまる。少なくともぼくと正露丸は、そんな関係にある。そして思う。これって「気持ち」の問題だよな、と。いわゆるところのプラシーボ、
校了とオンライン講義。
今朝、無事に校了した。
『取材・執筆・推敲』がようやく、校了した。来週には白焼きが出て、確認して、なにも問題がなければそのまま下版、すなわちほんとの印刷の行程に入っていく。「これだけ念入りに確認したんだから、もうなにも問題ないはずだ」の自信と、「これだけ最後の最後まで——きのうの夜まで——文言の調整をしてたんだから、なんか抜け漏れがあるかもしれない」との不安がいま、ふたつ胸に去来している。
と