マガジンのカバー画像

古賀史健

1,507
古賀史健の note、2018年以降のぜんぶです。それ以前のものは、まとめ損ねました。
運営しているクリエイター

2021年1月の記事一覧

手帳に書いた、こんなことば。

手帳に書いた、こんなことば。

そういえばなるほど、来週はもう2月なんだ。

今年になってはじめたことが、いくつかある。毎日なんらかの意志を持って継続していく類いのことだ。そのうちのひとつが、「ほぼ日5年手帳」である。ひと言なにかを書くだけでもいいし、書けない日が出るのもいい。そう思って書きはじめたところ、「出社したら、とりあえず開く。よほどの急用がなければ、そこで書く」の習慣ができつつある。

「毎日つけるものだから」というこ

もっとみる
まずいと「言う」のではなく、うまいと「言わない」。

まずいと「言う」のではなく、うまいと「言わない」。

なにをどう思おうと、その人の勝手である。

けれども胸の奥にある「思う」を「言う」に変換するとき、そこには一定の責任や覚悟が求められる。だってそうだろう、どんなに汚いことばで悪辣なことを考えていたとして、それを「思う」のうちにとどめておけば、誰にも迷惑はかけない。しかしながらそれを「言う」ときにはかならず、ことばの先に他者がいる。「ことば」はしばしば、刃物のように人を傷つけるものだと言われるけれど

もっとみる
本をつくるときにぼくが考えていること。

本をつくるときにぼくが考えていること。

「企画は『ひと言』で説明できるようにしなさい」

クリエイティブの現場でしばしば語られる教訓である。ほんとうにいい企画は、「ひと言」に要約することができる。ことばを尽くして語らないと伝えきれないような企画は、まだまだ詰めが甘い。その企画(あるいは商品)の核心にあるのはなんなのか、「ひと言」にできるまで考えよう。……およそそんな感じの教訓として語られている。

たしかにこれは正しい考え方なのだけれど

もっとみる
ひとりになれる空間とは。

ひとりになれる空間とは。

いまの家に越したのは、およそ5年前のことだった。

長年にわたって染みついた、「24時間いつでもどこでも仕事をしてしまう」というフリーランスの宿痾。これを改善すべく、仕事部屋を設けようのない間取りの部屋に引っ越した。「家ではぜったい仕事をしない。パソコンを開くことすらもしない」が目標であり、それは見事に成功していた。

けれども昨年来、リモートワークが推奨され、不要不急の外出が咎められ、あるいは接

もっとみる
冬の寒さと犬の話。

冬の寒さと犬の話。

【土曜日は寒かった】あらためて先週の土曜日は寒かった。きのう(日曜日)だってじゅうぶんに寒かったけれど、雨の強さも加えていえば圧倒的に土曜のほうが寒かった。雨降りの日、ぼくはレインコートを着て犬の散歩に出る。傘をさして散歩することだってできるにはできるのだが、散歩中に犬が落としたプーを拾ったりするにはやはり、両手が使えたほうがいい。ポンチョのようなレインコートを着て、散歩する。そして犬もまた、しぶ

もっとみる
考えるとは、決めること。

考えるとは、決めること。

もっとのんびり休んでいるはずだったんだけどなあ。

原稿を書き上げ、編集者とデザイナーさんにお渡しし、ゲラ(校正刷り)になって上がってくるまでのこの時期。普段であれば意気揚々と飲みに出かけたり、映画館や美術館やイベント会場に足を運んだり、あるいは休みをとって犬とあそんだりしているところなのに、どうにも忙しい。原稿以外の仕事が山積しているのである。

具体的になにをやっているのかは、まだ言える段階に

もっとみる
ここは東京だなあ、の建物。

ここは東京だなあ、の建物。

地方出身者として、「ここは東京だなあ」と感じる建造物がある。

東京タワーは、その代表格だ。とくに照明デザイナーの石井幹子さんがライトアップを手掛けて以降の——つまりは平成以降の——東京タワーは、「こんなにかっこいいタワーだったのか!」と、見るたびに驚かされる。あるいは東京駅の丸の内駅舎に「東京」を感じたり、都庁にそれを感じたり、六本木ヒルズやフジテレビ社屋、東京ドームなどに「これかあ」としみじみ

もっとみる
読書と旅とライナーノーツ。

読書と旅とライナーノーツ。

目的のない読書をしている。

特段流行っているでもなく、仕事に関係あるわけでもなく、むかしからの関心事というほどのテーマでもなく、熱心なファンだったわけでもない人の本をテキトーに買いあさり、その日の気分に応じたチョイスで読んでいく。ある意味、いちばん贅沢な読書だ。

人文系の本をそうやって読んでいくと、たいてい本文中に「アメリカの政治学者○○○○は、その著書『△△△△』のなかでこう述べている」など

もっとみる
犬の目に映る世界。

犬の目に映る世界。

よわい犬ほどよく吠える。

まるでうちの犬のために発明された慣用表現じゃないかと思うくらい、うちの犬は気がよわく、その裏返しとしてよく吠える。無論、誰彼かまわず吠え立てるわけではない。散歩なら散歩中、「なんかヘンだ」「なんか怖い」と思った相手に、ばうばう吠えてしまうのだ。

たとえばうちの犬は、スケボーに乗った兄ちゃんを怖れる。最初はスケボーのガラガラガラという走行音にびびっているのかと思っていた

もっとみる
王道という名の「帰る場所」。

王道という名の「帰る場所」。

ああ、日本の住宅街だなあ。

夕方あたりに犬の散歩をしていると、そんなふうにしみじみ感じ入ることがある。たとえばどこかの台所から漂う、カレーや肉じゃがを煮込む香り。カレーであっても、肉じゃがであっても、それを食べる家族はきっとうれしいだろう。「早くできないかなあ」とお腹を空かせて待っているのかもしれないし、そこまで積極的でなくとも「きょうはカレーかあ」と思っている時間は、たいていうれしさ含むものだ

もっとみる
企画会議は即ち、タイトル会議なり。

企画会議は即ち、タイトル会議なり。

進行中の本が、少しずつ自分の手を離れつつある。

自分のパソコンのワープロソフト上にしか存在しなかった原稿が、たくさんの人たちの手に渡り、本としての命を吹き込まれようとしている。たとえるならそれは、洋上の熱帯低気圧が「台風」へと変化するような瞬間だ。ひとたび台風になってしまえば、意志を持った生きもののようにぼくの手を離れていく。熱帯低気圧であるうちに、アンコントローラブルな台風に変貌してしまう前に

もっとみる
幡野さんの noteを読んで。

幡野さんの noteを読んで。

幡野さんがきのう、note を更新した。

仕事としての原稿ではない、またツイート(つぶやき)でもない、幡野さんがみずからの純粋な欲求に従って書いた文章を読むことは、ずいぶんひさしぶりな気がした。

たくさんの「♡」マークがついているし、ツイッター上でもたくさんの感想を見かけた。ぼくが想像する以上に多くの人が、もう読んでこころを動かされているのだと思う。きのうの note で幡野さんは、ひさしぶり

もっとみる
かっこいい大人の、その条件。

かっこいい大人の、その条件。

きのう、今年はじめてとなる「塩レモン鍋」を食べた。

「くぅー。やっぱ大好きだよ、この味」。うなり声をあげつつ、シメのチーズリゾットまで一気に食べあさった。さらに今回、糸井さんのおすすめにしたがって、パクチーやポテトチップスのトッピングを試みた。これがまたもう、ほんとにおいしい。この「塩レモン鍋」は久々の大ヒットだ。ぼくとしては春菊の代わりに大量のクレソンを使うことを、おすすめしたい。

鍋といえ

もっとみる
犬と人間にとって、散歩とはなにか。

犬と人間にとって、散歩とはなにか。

犬にとって、散歩とはなにか。

本来これは、犬それぞれによって答えの分かれるテーマであり、一般化しながら語ることなどできない。たとえば、子どものころに実家で飼っていた雑種犬(名前をバッカスという)。彼は庭先につながれる外犬だった。つながれた鎖の長さは、1.2〜1.5m くらいだったのだと思われる。バッカスを庭先で飼うことについては、「だって犬だし」くらいに受け止めていたものの、さして長くもない鎖に

もっとみる