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2019年10月の記事一覧
肩の荷を下ろすとき。
肩の荷が下りる、という言いまわしがある。
心配ごとや悩みごと、あるいは抱えている仕事などから解放されたとき、使われることばだ。もの書きの立場で言えば、脱稿したとき、無事にコンテンツが世に出たとき、まさに肩の荷が下りたことを実感する。精神的な話でありながら、肉体的にも楽になったような感覚が、たしかにある。納得することを「腑に落ちた=腹に落ちた」と言ってみたり、いっぱいいっぱいの状態であることを「手
そうじゃない「好き」のありかた。
来年の4月、ボブ・ディランが来日するのだそうだ。
前回の来日ツアーが、2016年の同じく4月。その年の秋にノーベル文学賞を受賞して——そのあとフジロックに降臨はしたものの——あの騒動以降、初の日本ツアーということになる。ノーベル文学賞受賞作家のライブ(しかも会場はZepp)なんてちょっと笑ってしまうけれど、彼自身もそれに似た話をしている。
受賞の知らせを聞いた時、私はツアーに出ていました。ちゃ
日本でいちばん強そうな服。
最近、ぶかぶかのパーカーを購入した。
生地も着心地もよく、なかなか気に入っているのだけど、そのぶかぶかさがどうも、ヒップホップ的なチンピラ感を醸し出しているような気がしないでもない。いわゆるところのギャングスタ・ラップな、ヘイヨーな、ブラザー感。そう見えるのだとしたらちょっと、困るなあ。中学時代からヤンキーの友だちは多かったものの、ぼく自身がヤンキーに流れたことはない。
誤解を承知でいえば、ヤ
勝ち上がることのよろこび。
去年のサッカーワールドカップ・ロシア大会を思い出す。
ハリルホジッチ監督の解任、西野監督の就任、史上最低といっても過言ではなかった前評判、そして大迫ハンパないグループリーグ突破、ジェットコースターのようだったベスト16でのベルギー戦。ずいぶん昔のことのようだけれどあれ、ぜんぶ去年の出来事ですよ。で、どこが優勝したか憶えていますか。決勝戦のカード、憶えていますか。フランス対クロアチアですよ。ね、超
ことばを尽くす、ということ。
きのう、「ことばを尽くす」ということについて考えた。
きっかけは、ほぼ日刊イトイ新聞で公開された『岩田さん』の1章から3章を読み返したからだ。最初に読んだときと同じく、ぼくの感想は「岩田さんにお会いしてみたかったなあ」だ。より正しくは「岩田さんとおしゃべりしてみたかったなあ」だ。取材でもいいし、雑談の末席におじゃまさせていただくのでもいいから、一度おしゃべりしてみたかった。そのことばを、直接聴い
ぼくらの朝のルーティーン。
朝、目を覚ます。
トイレに行く。パジャマ代わりのスウェットを脱いで、ジーンズなどに履き替える。リビングに入る。目を覚ました犬が、ぼんやりこちらを見ている。犬小屋の扉を開け、おはようと挨拶する。水を飲んだり、トイレに向かったり、気分によっては身体を擦りつけてきたり、犬がする。カーテンを開け、外の光を採り入れる。ベランダ側のサッシを開け、空気を入れ換える。天気がよければ犬は、よろよろとベランダに向か
日本シリーズと地元愛。
ああ、これはもう帰るわけにはいかないなあ。
上京して間もなく、そう思ったのを憶えている。ぼくは福岡県出身の、そう呼ぶのが慣例だとするなら九州男児だ。大学も福岡だったし、最初の就職先(メガネ屋さん)も福岡だった。その後、無職期間を経たのちにライターの職を得て上京するのだけど、こりゃ帰るわけにゃいかんよなあ、と思ったのだった。
福岡にいたころ、地元のテレビや雑誌にはたくさんのローカルタレントさんや
ぼくらはたぶん顔を見ている。
顔を見てるんだろうな、と思う。
たとえば、やあ、やあ、やあ。ひさしぶりの友だちと会う。まだなんにもしゃべっていないうちから、うれしくなり、ほんのちょっと照れくさくなる。このときぼくらは、友だちの顔を見ている。相手のことが好きなとき、ぼくらは相手の顔をもう、好きになっている。美醜の話ではなく、カレーライスやハンバーグの姿が好きなようにもう、その人の顔が好きなのだ。
会って話すといい人なのに、大好
たとえ時間がかかっても。
あったけれども、なかった。少なくとも、こんなじゃなかった。
たとえば「炎上」ということば。むかしから日本語として存在してはいたけれど、いまのような文脈で使われることばじゃなかったし、この文脈を手に入れてから使用頻度は格段に増えた。あるいは、「拡散」ということば。こちらも日本語として存在してはいたものの、たとえばそれは「核拡散防止条約」のような場面で使われることばで、SNS 空間で使われている「拡
もしもお前が1000年生きるなら。
犬の話をしよう。
犬を迎え入れた日からうっすらと、お別れのときのことを考えている。実家にいた先代犬(正しくは先々代犬)のことを思い出したり、犬とお別れした先輩たちのお話に耳を傾けながら、いつかくるその日のことを考えている。
むずかしいとは知りつつも、やはり「10年、20年といわず、30年でも40年でも長生きしてくれたらな」と思ってしまう。そして冗談のように「いっそのこと、1000年くらい生きて
知ってましたか、体育の日。
カレンダーを見て「んんっ?」。眉間にしわが寄った。
本日は10月11日だと、カレンダーは告げている。流行に疎いぼくも、世間が10月に入ったことは知っていた。行楽の秋、食欲の秋、スポーツの秋。たしか数日前の note にもそんな話を書いた。しかし問題は11日のほうである。
あれ? たしか10月10日って「体育の日」じゃなかったっけ? きのう休日だったっけ? おれの記憶違いだっけ?
頭にクエスチ
ぼくのこころのバロメーター。
おれ、なんだか調子が悪いんだろうなあ、と気づく瞬間がある。
あたまが痛いとかお腹が痛いとか、胃が悪いだとか腰が痛むとか、そういう種類の不調ではなく、もうちょっと自覚のむずかしい、こころのほうの不調だ。いまから10年以上前、ぼくは本格的にこころを崩したことがある。思い返すのもうんざりするほど仕事を詰め込み、食事を粗末にし、睡眠を粗末にし、お風呂に入ることも粗末にし、起きている時間のほぼすべてを原稿
あのとき、ことばにされたから。
この気持ちのよい歓迎っぷりは、なんなのだろう。
ラグビーワールドカップについて、また考えている。たとえば、もう17年も前のことなのか。2002年のサッカーワールドカップ日韓大会を思い出し、当時の空気と比べながら考えている。
思えば2002年のサッカーワールドカップでも、歓迎にまつわるほほえましいエピソードはいろいろあった。カメルーン代表がキャンプ地とした、大分県の中津江村。なかなか到着しないカ