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古賀史健

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古賀史健の note、2018年以降のぜんぶです。それ以前のものは、まとめ損ねました。
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2019年8月の記事一覧

来年の誕生日はきっと。

来年の誕生日はきっと。

先日、46歳の誕生日を迎えた。

自分の年齢についてぼくはいま、正直あまり意識していない。以前もどこかで書いた気がするけれど、37歳のときに一度だけ、「老い」というほどではない「衰え」を実感した。徹夜するのがきつくなり、深酒すると深刻な二日酔いに襲われるようになった。ああ、これはきっと加齢による変化だ。おれの場合は35歳でも40歳でもなく、このタイミングでくるのだな。この年齢をおぼえておこう。そん

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テンションを伝染すひと。

テンションを伝染すひと。

さきほどまで、本の打ち合わせをしていた。

まことに申し訳ないとは思いつつ、ぼくは編集者のことばをあまり信用していない。もうすこし正確にいうと、編集者たちの語る「ほめことば」をぼくは、あまり信用していない。向こうはほめることを仕事とし、乗せることを仕事とする人たちだ。ぼくが編集者だったとしても、筆の遅い作家を抱えていたら、とりあえずほめるだろうし、乗せようとするだろう。まずは書き上げてもらうことを

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ドタバタがはじまる前に。

ドタバタがはじまる前に。

さあ、やることが多いぞ、今日は。

なんてことを冒頭から書いて逃げを打ちながら、なんでもない雑感をいくつか書くぞ、今日みたいな日は。明日も明後日もドタバタしていそうだけど、明日は明日でなにか書くのだろう、ぼくは。キーボードに手を置けば、動いてくれるのだろう、指が。

会社の決算が終わった。

うちの会社は6月決算。かぎりなく個人事務所に近い会社だとはいえ、どうにか5期目の決算を終え、6期目に入った

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ロングセラーの処世術。

ロングセラーの処世術。

出前で、特のり弁当を注文した。もうすぐ届くところである。

のり弁といえば、ごはんの上におかかを敷いて、その上一面にのりを敷きつめて、白身魚のフライ、ちくわ天、場合によっては鶏のからあげ、それからきんぴらごぼうに昆布の佃煮などを載せたお弁当である。あれを白身フライ弁当と呼ばせず、のり弁当と呼んでいるところがいい。

白身フライ弁当であった場合、メイン食材は当然白身フライだ。その味にはそれなりの説得

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だれかを好きになる才能。

だれかを好きになる才能。

明石家さんまさんには、いろんな伝説がある。

なかでもぼくが大好きなのは、「録画した自分の番組を見ながら、深夜にひとりで大笑いしている」という話だ。その姿を見た大竹しのぶさんが、心底おどろいた(そしてあきれた)とか、さんまさん宅に招かれた若手芸人さんたちがその姿に戦慄したとか、どこまでがほんとうでどこからがネタなのかわからない話が、たくさんある。

土曜日にNHKで放送された『ドキュメント矢沢永吉

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マジョルカに行ったあの人の話。

マジョルカに行ったあの人の話。

サッカーの久保建英選手が、スペイン1部のマジョルカに移籍した。

銀河系軍団レアル・マドリーからの期限付き移籍である。10歳のときにバルセロナの下部組織(カンテラ)に入団した彼は、当時からしばしばメディアにとりあげられていた。地元のカップ戦で得点王とMVPを獲得し、流暢なスペイン語でインタビューに応じる彼の姿は、サッカーファンの多くが目にしてきたはずだ。

これ、じつはけっこう珍しい例である。

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あしたマウスピースを受けとるぼくは。

あしたマウスピースを受けとるぼくは。

明日、歯医者にマウスピースを受けとりに行く。

先日定期検診を受けたところ、どうやらぼくは寝ているあいだ、歯を食いしばる癖があるらしい。それで歯が、少しすり減っているらしい。これから就寝時には、マウスピースをつけたほうがいいらしい。ほんとに毎日つけるようになるものか、けっこうあやしいのだけど明日、マウスピースを受けとりに行く。

マウスピースといって思い出すのが、アントニオ猪木さんだ。

(以下、

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メモの代わりの進捗報告。

メモの代わりの進捗報告。

ひさしぶりに、いま書いている本の話をしよう。

コンセプトは「ライターの教科書」。わたしは教科書を書けるほどにすごいライターなのだぞ、という自負によるものではない。「今後ぼくは、学校のような場をつくる必要があるだろう」「だったらまず、そこで使う教科書が必要になるだろう」「自分の考えるカリキュラムに沿った教科書は、どうも存在しないようだ」「じゃあ仕方がない。教科書づくりからはじめよう」。そんな経緯で

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そのむかし、雑誌のライターだったころ。

そのむかし、雑誌のライターだったころ。

なんの脈絡もなく思い出したエピソードを語る。

あれはぼくが雑誌ライターをやっていたころだから、すくなく見積もっても15年以上前の話である。当時ぼくは、経済雑誌を主な活動場所にしていた。いまだってそうだけれど、あのころのぼくに経済まわりの専門知識なんて、皆無に等しかった。

ちょうど松井証券が国内初のインターネット株取引を開始し、おおきな話題を呼んでいたころ。ある投資家の方に取材したときのやりとり

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ライターをやっててよかった、と思えるとき。

ライターをやっててよかった、と思えるとき。

なんておもしろいことばをしゃべる人なんだろう。

まだぼくもみんなも mixi をやっていたころ。そして YouTube が大人気になった10年以上前。ぼくは、ある方のトーク映像を、くり返し、くり返し、見ていました。2008年当時の mixi 日記に、ぼくは YouTube へのリンクを貼りながら、こんなことを書いています。

最近、1日に1回は見ている YouTube 映像があります。

それは

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ページをめくると、そこにいる。

ページをめくると、そこにいる。

「いい本には、つくり手たちの『時間』が込められている」

そう教えてくれたのは、糸井重里さんだった。役に立つ情報だとか、目からウロコの新発見だとか、おもしろい表現だとか、そんなこと以前につくり手たちの込めた時間——その濃さや長さ——が、読者をたのしませてくれる。「あの本、そういう『時間』がたっぷり感じられましたよ」。何年も前にぼくら(柿内芳文さん、加藤貞顕さん、ぼく)がつくった本について、糸井さん

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8月の雑感。

8月の雑感。

なんだかんだと忙しくしている。

【8月の記憶】
子どものころはこの季節、だいたいおばあちゃんの家で過ごしていた。親戚が集まり、みんなでプールに出かけ、日焼け具合を競い、家に帰ってトランプをしたり、すいかを食べたり、なにをしていたのかよくわからない時間が過ぎていた。おばあちゃんの家にクーラーはなかった。開けっぱなし玄関、引き戸、そして扇風機で、ぜんぜん我慢することができた。いつも汗ばんではいたけれ

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『全裸監督』を観た。

『全裸監督』を観た。

Netflix『全裸監督』を観た。

山田孝之が、世界の中心(Netflix)で、村西とおるを演じる。おもしろくなかったら嘘だろ、という組み合わせだ。

観ているあいだ、ずっと胸がヒリヒリしていた。有り体にいうならそれは、タブーが侵される快感だ。別にポルノ産業を題材としているからではない。ベッドシーンが出てくるからではない。交わされることばのひとつひとつ、画面の端に写り込む美術、これでもかと吸われ

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誤読と失念、わたしの声。

誤読と失念、わたしの声。

誤謬、ということばがある。

あやまり、まちがい。または論理的な誤りを含む推理。広辞苑はそう教えてくれる。誤謬と書いて「ごびゅう」と読む。哲学や現代思想など、むつかしめの本を読んでいるとしばしば遭遇することばだ。慣れ親しんだことばだとさえ言える。けれどもぼくは20代のころ、これをずっと「ごびゆう」と読んでいた。

理由はいろいろ考えられる。たとえば文庫本のなかに、誤謬ということばが出てくる。そこに

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