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2018年5月の記事一覧
旅行先で書く、わたしと犬の話。
ブログなんて、日記みたいなものじゃないか。
そして日記であれば、「書くことがない」なんてありえるはずがないじゃないか。だってそうだろう、その日に起こった出来事を、その日に感じた事どもを、そのまま正直に書き起こしていくだけで、それは立派な記録となり、読みものとなる。ましてや、いまのお前は旅行中の身だ。山ほどの出来事があり、感じたことや思ったこと、考えたことがあるはずだ。
そんなインナーボイス、す
それでも書いていく、の心。
こいつ、なんにも考えてねえだろ。
誰かの書いた文章を読んで、たまにそう思うことがある。どこかに掲載されている記事、送られてきたメール、もっともらしい文言の並んだ企画書、あるいは商品として販売されている本。ちゃんと考えることをしないまま書かれた文章は——たとえ書いた本人がそれと気づいていなくても——かなり瞬時に見抜くことができる。きみ、ここのところ、なんにも考えないまま書いたよね、と。
ぼくは
いつもの朝と、いつもの食事。
朝、シリアルを食べていた。
お皿にザラザラーッとあけて、牛乳をかけて、おおきめのスプーンですくいながら雑に食べる。その姿を、おすわりした犬が、ものほしそうに見上げている。お前はさっき食べただろ、なんて言いながら目を合わさないようにして、そそくさと食べる。
シリアルの箱の裏書きを見ると、いかにも健康的で、栄養満点な文言が並んでいる。六角形とかのチャート図で「これだけの栄養が摂れるんですよ」と書か
もうひとつのロックンロール。
週末、『ビートルズの世界革命』というドキュメンタリーを観た。
紹介文によると、「世界の音楽シーンを永遠に変えたビートルズ。いまだに世界の音楽と文化に影響を与え続ける彼らのレガシーを、インタビューや希少な記録映像を交えて探る」。ビートルズのメンバーたちへのインタビューではなく、評論家たちが「ビートルズのなにが画期的だったか」みたいなことを語っていく作品だ。
こういう、著作権をかいくぐるようにして
書くことが思い浮かばない金曜日。
書くことが浮かばないから、書く。
皮肉めいた逆説に、また単なる語義矛盾に聞こえるかもしれない。けれども毎日なにかを書こうとしていたら、かならずこういう日がやってくる。頭を抱えて「うーん」とか唸っていても書くべきことはまるで浮かばず、なんでもいいからとりあえず——ちょうどいま、ぼくがやっているように——手を動かしはじめる。動かせば手が、その先を教えてくれる。そうやってひねり出したもののなかに、意外
謎のコーヒースタンド。
へぇ〜、最近このコーヒー屋さん増えてきたな。
あれはコーヒースタンド、というのだろうか。1坪くらいのスペースでテイクアウト用のコーヒーを販売する、屋台のような、宝くじ売り場のような、なんかそういう感じのコーヒー屋さん。渋谷や原宿、表参道、青山あたりにとても増えてきた。そして系列店ということなのだろうか。ぜんぜん店構えの違うコーヒー屋さんでも、看板にはたいてい同じ名前が表記されている。
「東郷コ
雨の降る日のクリエイティブ。
どうすれば、雨がたのしくなるか。
クリエイティブにたずさわる人間として、これはとても大切な課題だと思っている。基本的に、雨は嫌なのだ。濡れるのも嫌だし、髪がくるくるになるのも嫌だし、靴のなかがびしょびしょになるのも、傘の置き場に困ったりそれをどこかに忘れたりするのも、なんでもとにかく嫌なものなのだ、雨というやつは。
その「嫌だけれど避けられないもの」である雨を、いかにして「たのしいもの」に変え
ぼくがホテルを選ぶとき。
じつは来週、小旅行の予定を立てている。
予定を立てている、という言い方は正しくない。ただ3泊4日で宿の予約をとっているだけだ。リゾート地でも避暑地でも温泉でもない、千葉県の海岸沿いにあるふつうの宿を。泊まりにいってなにをするわけでもなく、のんびり犬と休めたらいいなあ、と思っている。天気がよければいいなあ、犬となにして遊ぼうかなあ、と。
わが家に犬がやってくる以前、ぼくは「合宿」と称してホテルに
幼稚園児だったときの思い出。
『思い出のアルバム』という歌をご存知だろうか。
タイトルだけを聞くと、懐メロ歌番組の投げやりな番組名のようだけれど、そうではない。〈いつのことだか 思い出してごらん あんなこと こんなこと あったでしょう〉 という歌詞からはじまる、定番の卒園ソングだ。
卒園式の練習ということでこの歌を練習させられていた幼稚園児のぼくは、まったく冗談じゃねえぜ、と思っていた。おまえら、幼稚園児に「思い出」を振り
酔っぱらいとインターネット。
20代のころぼくは、しばしば泥酔していた。
いや、しばしばというのはウソで、飲むとほとんど毎回泥酔していた。記憶をなくすまで飲んでこそ酒だと考え、三軒目から先の記憶がすっぽり抜け落ちているだとか、どうやって家に帰ったかわからないだとかの話を、武勇伝のように語っていた。そこまで飲めないお前は弱虫なのだ、とでも言わんばかりに。
多くの酔っぱらいと同じく、酒を飲んだぼくは声が大きくなり、態度が大きく
正論を口にするときの危うさ。
こういうとき、おれは調子が悪いんじゃないか。
きょうの note はなにを書こうかな、とキーボードに置いた指を眺めていたとき、ふとそう思った。書くことが浮かばないなあ、と中空を見上げてぼくは、「最近の○○な風潮、どうも間違ってると思うんだよね」的な話を書こうかな、と思いついた。○○についてだったらいくらでも書けるし、ちゃんと書けば、まじめな提言にもなりそうだ。よーし、○○について書こう。
そう
隣りあう比喩と、飛躍する比喩。
口のなかに口内炎ができた。
当たり前の話である。足の裏にできた口内炎などあるはずもなく、口のなかにできるからこそ、人はそれを口内炎と呼ぶ。いわゆる頭が頭痛だ問題であり、馬から落馬した問題と同じ話だ。
口内炎の嫌さ加減については、みんな同じ思いを共有しているだろう。よほどな特異体質でもないかぎり「わたしは口内炎が大好きなんです」と目を輝かせる人はおらず、まるで生乾きした犬の糞を素足で踏んづけたよ
ロマンティシズムとリアリズム。
とっても不思議なタイトルの本である。
とはいえ同時に、そうとしか名づけようのない本である、ともいえる。くわしい本の紹介はまた刊行日(ほぼ日刊イトイ新聞の創刊記念日であり、20周年の記念日でもある6月6日)にでもあらためて書こうと思うけれど、それにしてもこの本はうれしい。ぼくがどんだけうれしがっているか、わかってもらえないだろうけれど、「たぶんこれくらいうれしいんだろうな」というご想像の何倍もうれ