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徹夜明けで1人、岐阜・高山にいくヤツ -コロナのせいで何も得られなかった、なんて思われたくない-

高山へ行ってきたよ♬


昨日の夜、友達と夜電話をしていた。
企業に提出する自己PR動画をどうしようかという話題で話していた。気づけば朝になっていた。
このまま寝ると夕方になるよな~と思い、ある意味大学生らしいのだが、それだけは避けたかった。
あの起きた瞬間にやってくるけだるさというべき虚無感がいやだった。いやそれだけでなく、最近の生活があまりにも無味無臭すぎたからなのかもしれない。

最近の生活と言えば、卒論執筆のため長期インターンにも入らず、図書館に籠もりパソコンとにらめっこしていた。ひとり暮らしのアパートと大学の往復だけで、特に新しいことも新鮮な出来事もなく、閉塞感と息苦しさを感じる時さえあった。

なんかないかなと思い、唐突に高山へ行こうと決意した。スマホで調べると鈍行で名古屋→高山は4時間と3,000円あればいけると分かった。
ぱぱっと荷物を作り、カイロを背中に貼り、家を出た。外はまだ薄暗く、けれども思ったほど寒くはなかった。徹夜でテンションが上がっていたからなのだろうか。

そもそも高山を選んだ理由だが、
来年から就職を機に上京する私にとって高山に行けるチャンスはもう今しかないと思ったからだ。名古屋から岐阜高山へ行くのと、東京から岐阜高山へ行くのではかかる時間とお金に差が大きすぎる。というものの、岐阜県生まれで20年間岐阜に住んでいた私だが、高校1年生のころの研修で1度高山へ行っただけで、高山のことなんて全然知らない。
岐阜駅から鈍行で3時間以上かかる高山なのだから意外と遠いのだ。けれども東京に行ってしまったらきっと行ける機会はそうそうない。今だ!と思い、思い立ったら即行動するたちなので、決意してからの行動ははやかった。


「岐阜出身なんですよ」と自己紹介をすると、大抵の人は「岐阜??あー高山あるところ?高山なら行ったことあるよ」と言う。たいていの人は。けれども1度しか行ったことない私にとって「へーそうなんですか」と返すので精一杯だった。相手が地元の話を振ってくれているのに返せない自分が情けなくて仕方がなかった。

思い返すと海外を旅していたころ「I am Japanese」と言うだけで、「I know ドラゴンボール, What character do you like?」などと日本のことを色々聞かれた。そのとき、自分がいかに日本を知らないかを思い知らされると同時に、もっと地元や日本のことを知らねば、日本をもっと知りたいと思った。

それと同じで、私は岐阜出身なのに知らない土地があまりにも多すぎた。岐阜は意外と大きいのだが、平野部は名古屋まで30分なのでだいたい名古屋へ出ることの方が多い。そこで、今年1年で岐阜の主要な市をすべて行った。中津川も恵那も高山も。

日本アルプスと称される山々は名古屋に住む私にとって憩いであり救いだった。都市の喧噪から離れ、吸う呼吸が気持ちいいと感じることができた。きっとそれは出身が岐阜だとかいうことは関係なく、緑が人体に与える影響が大きいということだろう。

コロナのせいで何もできなかった、
なんて思われたくない、言いたくない


2020年2月コロナが流行すると同時に私たちの生活は激変した。
私は2018年入学なので、いわゆる"コロナの年"の時、大学3年生だった。下の学年のことを思うと、まあ2年間満喫できたから幸いなのかもしれない。
しかし、3年次に文転した私に、オンラインで友達を作ることはできなかった。授業がすべてオンラインなのだから仕方がない。「コロナがなかったら」と何回嘆いたことか。

大学を歩けば、
「コロナのため使用禁止」という張り紙。
ラーメン屋にいけば
「私語なし。マスク着用」が当たり前。
世界は一瞬にして変わった。

新聞は「オンライン授業反対」という署名運動や
コロナで窮困する学生が取り上げられていた。
親戚が集まれば「大学生はコロナでかわいそう」だと思われている。
友達たちは「海外にいきたい」と嘆いている。

しかし、本当にそうだとしても、コロナがなかった状態にはならない。目が覚めたらコロナが収まっていることはない。だったらどうするのか。
コロナ禍でもやれること、やりたいことを見つけて行動するしかないのだろう。

確かに、コロナ前と比べると、はるかに行動制限がされている。何もできないように思える。
でも、私は色々な価値観に出会えて、自分の内面と向き合えた期間だと思っている。


期末テストの代わりに毎日レポート課題が課されるようになった。
言葉で相手に伝えることの大切さを知り、言葉を綴ることの面白さに気づけた。1年で100本のnoteを書くことが出来て、「文章力上がったね」「文章がうまいね」と言われるようになったし、人の文章の良い悪いが分かるようにもなってきた。

元々本を読むのが好きであったが、さらに本を読むようになった
→本を読むことでストレス軽減になったり、新しい価値観と出会い新たな世界が開けてきた。1年で小説、哲学、ビジネス、様々なジャンルに触れ、100冊は読んだ。本の持つ面白さに改めて気づけた。

海外に行けないから日本の知らない土地に行こうと思い、【おてつたび】というサービスを使い、地方に行った。
→1人で2週間という期間を知らない土地で過ごし、現地の人と一緒に仕事をする中で、家族みたいな関係となり、故郷と呼べる土地が増えた。


どんな些細なことでも、考え方次第で、自分にとってプラスになったりする。

結局すべては自分次第。
そこにあるのは事実だけで、解釈も意味づけもすべて自分次第なのだ。

全員が同じ状況なのだから、何をしてどう過ごすのかに個性がでる。私は、後輩たちが就活のときに、ガクチカを何を話すのかが楽しみだ。もちろん就活に限らず、大学機関という貴重な四年間をどう意味を見いだすのか楽しみだ。


私は、コロナ禍で自分を見つめ対話し、自己を確立するとともに新しいことにチャレンジし続けた。これは自分の人生にとって大きな意味を持つだろう。
「コロナのせいで何も得られなかった」と嘆くのではなく、すべては自分次第だということを忘れてはならない。

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