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この時期にイベントの責任者になってみてわかったこと

あるイベントの中止を決めた。正直、悩んだ。

イベントといっても弊村の地区で毎年この時期に行われる行事に付随するもので、まあ規模的にも50人前後。大規模というほどでもなく、だからといって小規模とも言えない。

ただ、去年から実験的にやり方というか中身を変えて、より地区の人たちがイベントに出たくなるようにデザインし直した。そのおかげで従来から参加者が大幅に増えたのだ。端的に言って「好評」と言っていいいんじゃないか。

だからこそ今年のいまのこの状況でどうするか。

飲食も伴うイベントだから、そんなの即刻中止に決まってるだろという考え方もできる。わかってる。

だけど、世の中がこうだからで流れで大事なことを決めたくなかった。それって何も「考えてない」じゃん。

楽しみにしてるという声も聞いてたし、地区の人たちにとってもすごくいい交流の機会だから。村だからみんな交流があるかというと、そうとも言えない。

基本的に結構みんな忙しくて、それぞれの分野(畑をやってるとか、養蜂をやってるとか、山に入って木を伐ってるとか)単位では濃い交流があっても、そこを超えてフラットに地区のみんなが楽しみながら親密に過ごせる機会は貴重なのだ。

結果、悩んだ。ずっと身体の中にうまくのみこめないものを抱えてる感じ。

基本、仕事とかではそんなに悩まない(軽く考えてやってるという意味ではない、もちろん)。やるべきことは明確で、ある程度の経験をしてきてるのでたいていのことは対応できる、なんとかなるが通用するからだ。

けど、今回はそれが通用しない。というか、何をどうするのが正解かそれでどんな結果になるか誰もわからない。そりゃ悩むさ。

これはもう、どこに自分を置くかしかないなと思った。

去年は「サブ」の立場でイベントを準備して運営したけど、今年はあろうことが僕がトップの立場でやらないといけない。

すごい能力があって見込まれてやってるわけじゃないのもわかってる。いろんな村の事情もある。そこに逃げることもできる。

だけど、トップというかリーダーでやってる以上は「誰より考える」立場にあるという自分の置き方をしたかった。自粛って言ってるから自粛ですで済ませるのは何も仕事してない。

そう考えたら、やっぱり何より優先しないといけないのは地区の人たちを守るということ。「Pros&Cons」でメリット・デメリットを自分の中でディスカッションさせてみたけれど、最終的にはそこの重みづけは強かった。

「もしイベントをやって何かあったら――」という消極的な逃げの姿勢で決めるのではなく、やっぱり「これがいちばん大事」というのをちゃんと持って決めたかった。

で、その考えを元に、でも僕からの誘導にはならないように文面も考えて関係者のグループLINEに流して意見を聞いてから最終的な決断をした。

若干、重たいよな。そんなことも思いながらLINEに流したのだけど、みんな考えてくれたのが助かった。もし意見が割れたら、今回は嫌われる側に回ろうとも思ってたから。

その中から、今回は中止にするけれど、こんなときでも地区の人に少しでも喜んでもらえる小さなアイデアも出て来た。

もし、こんなことからでも何か学びがあるとすれば。

1)正解はなくても自分が「これがいちばん大事」というところに自分を置く。その上でフラットに意見を聞く。

結論に誘導するような聞き方はしない。今回なら「中止したいと思いますがどう思われますか?」という聞き方をすればバイアスがかかる。人は基本的に判断を避けたい生き物なので判断にはストレスかかるから。

2)前提条件、事実は明確に伝える。「何を根拠に考える」の「何を」がないと感情論とか空気に流されるになりやすい。
3)そうやってフラットに投げることで、思わぬ第三の意見が出てきて、それが結果的にいろんな接着剤になる。

いろいろセンシティブな部分もあるので具体的に書けないのがあれだけど、自分が当事者になって正解の見えない状況で何か決めなきゃいけないのは、どんな場でも楽じゃない。

もちろん、自分が考えた結果が正しいのかどうかなんてわからない。でも「誰より考える」を経験させてもらったことは(小さなイベントだけど)、何かこれからにも生かせる気がするんだ。

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ウグイスが鳴いてます!
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村暮らしのライター/エディター Editing and Book Writing/人とことばと土を耕して生きてます。東京⇄信州。noteでは大事じゃないけど大事なことを。何をしてるかより「なぜしてるか」の深い話を聞いて書くひと→ https://fumigura.com/