見出し画像

#おうち旅行 中学生男子がスナックに吸い込まれた日in鹿児島:後編

中学1年の春休みに無目的に九州一周した話。家にいながらスマホやPCがいろんなとこに連れてってくれる素敵企画 #おうち旅行 に参加してます。

前編中編に続き、鹿児島で思いがけずスナックに吸い込まれてしまった話。実話です。



観念した。スナック初体験が思わぬかたちで訪れたのだけど、まあアルコールを出されるわけでもないので未成年でもセーフなんだろう。

ママはカウンターの中で、なにやら切ったり温めたりしている。

人生って自分次第でどうにでもなることと、どうにでもならないことが織り成す複雑な模様をしてるけど、こうやって初上陸した鹿児島の街で、見ず知らずのスナックのママの手料理を食べることになるのはどうなんだろう。

自分がどこかでそういう糸を手繰り寄せたのかもしれないし、自分の糸が何かのはずみで絡んでしまったのかもしれない。わからない。

だいたい、人生なんてわからないんだ。大きな主語で適当なことを言うのは良くないんだけど、これは本当にそう思う。

いまって、人間の行動も含めていろんなものがデータで取れるようになって定量化甚だしくて、逆にデータで取れない分析できないものを多く持ってると、まあまあ「不利」な場面も増えてきた。

たまたま人事とか採用方面のプロジェクトに関わることも多いので、リアルにそういうのを目の当たりにするから。

企業やチームが「求めてるもの」をどれだけ「定量的なデータ」で相手に示せるか。具体的な経験もすべて、AIに機械学習させるように認識可能な「特徴量」としてデータ化され選別される。

求められるものと無関係な要素はできるだけ持ってないほうがいい。そこでは、誰にでも「わかりやすい人生」がスマートな扱いをうけるわけだ。

なのに現実の人生はほとんどの場合、そんなスマートじゃない。この出来事にどれだけのどんな意味があるのか、プラスなのかマイナスなのかなんていつわかるんだろう。

わかってるのは、僕の生き方はスマートとは程遠いってことだけ。鹿児島の桜島と大阪の桜島ぐらい程遠い。

「はい、どうぞ」

ママが出してくれたのは定食っぽい晩ごはんだった。小さく銀色に光る魚の刺身があって(いまなら、それがきびなごだったんだろうなってわかるけど)、その横に見たことのない茶色くて丸い物体(?)がどんと鎮座してる。

なんだろう、これ。僕がとまどってると「知らん? さつま揚げ?」とママがふしぎそうに言う。知りません。というかはじめて見ました。

なんとなく甘い匂いがするので、たぶんおいしいんだろう。そう思って食べてみると、それ以前に醤油が甘かった。いや、おいしいんだけど。

それより気になったのが、お店のドアが全開だったことだ。

スナックのカウンターに男子中学生が座ってごはんを食べてるのが、通りから丸見え。こっちが逆に気になってしまう。

ふつう、スナックみたいな店はドアが閉じられてて、なかなか外から中の様子がうかがい知れないイメージがあるのだけど鹿児島のオープンな文化なんだろうか。

もしかしたらお店のママが気を遣ってくれたのかもしれない説もある。さすがにこういう店で怖がらせてもいけないからドアを開けておくという。これもわからない。まあ、暑くも寒くもない気候だったから良かったのだけど。

端的に言って、ごはんはおいしかった。定食を食べさせてくれるスナックが鹿児島にはあったのだ。学校の友達に言ったところで何も生まない情報だ。

気になった値段は500円だった。ワンコインの晩ごはん。ぼったくりの店ではなかったのにホッとしたけど、それがお安いのか、そもそも値段なんてあったのか判断がつかなかった。

ママにお礼を言って店を出るとき、ママから「明日はどこ行くの?」みたいなことを聞かれた気がするけど、それぐらいで特に感動的な別れでもなんでもなかった。

だから余計にフラットな記憶として残ってるのかもしれない。

ただ、いい大人になったいま思うのは、あのときママがいい意味で放置してくれて有り難かったなということ。変に根掘り葉掘り聞くわけでもなく。

そりゃスナックのママなんだから、ある意味で人を見るプロだし、まあこの子は大丈夫なほうの子なんだろうって思ったんだろう。

未成年がふらふら一人旅していて、たぶん鹿児島だけでなくいろんなところで周りの大人から、何かは思われてた。それでもちゃんと「自分の判断」で見てくれてる大人がいたからよかった。

そんなふうに僕も次の時代の誰かに接していきたい。やってることだけで何か決めつけるのではなく。

そのあと、鹿児島から乗った夜行の中で埼玉大のお兄さんたちのグループと一緒になって、なぜか紛れて長崎に行った。その道中もいろいろあったのだけどまた長くなるので今回はこれでおしまい。

(追記)

まあ、そんなわけで僕のはじめての鹿児島の思い出は「夜のスナック」に彩られたのだけど、僕の記事を読んでくださった鹿児島出身でイギリス在住の観世 (かんぜ) バタコさんのnoteでも「それかも」と思うくだりが。

うん。鹿児島の人、そういうところあるかも。屋久島に行って泊まった民宿(これはもっと大人になってから)も、そういう「篤い」感じすごくあったの思い出しました。これもまたいつか。