写真_2019-12-05_11_46_08

雑談と取材は何がちがうのか

雑談のような取材が好きだ。

こんなふうに書くとかなり語弊があるな。語弊といえば五平餅が自動的に思い浮かぶ仕様なので困る。五平餅おいしいよね。

という雑談をしたいわけじゃない。

ライターって雑談して仕事になるんだ! と思われても良くない。各方面で怒られるし、取材させてもらう人にも失礼だ。

その人の名前さえ出ていれば、何を話してたって書いたって喜んで読んでもらえる大物ライターとか大御所作家なら話は別だけど。

雑談といっても、ただ好きに喋り散らかしてるわけではない。それでは取材とは呼べない。

あくまで「雑談のような」であって、雑談してるわけではないよ。

じゃあ雑談と取材のちがいは何なのか。べつに難しい話じゃなくて、ちゃんと目的地に辿り着けることだ。

         ***

雑談に目的地はない。あってもいいけど、ふつうは事前に「この雑談のゴールは」なんて設定しない。

取材の場合は、基本的にどんなメディアのどんな意図の取材であっても目的地がある。

たとえばインタビューからつくる書籍の場合でも

◇企画の前段階の事前取材(リサーチに近い)
◇構成を固めるための取材(重要な人物に話を聞いたりもする)
◇本取材(当事者に企画内容について具体的な取材、周辺情報の取材、裏取り的な取材)

というように、それぞれの取材に目的地がある。

この取材は「何のため」で「何が得られればOK」なのか。スポット的な取材でも最低限、そこは取材前に言語化したりイメージする。その作業というかプロセスがあって話を聞く、話をするのが取材。

行き当たりばったりで取材するのも、記事や企画によってはなくはないけど、そういうのでも「なぜ、行き当たりばったり方式でやるのか」の目的はある。そのほうが企画的にも記事にしたときもおもしろくなる想定ができるからするのだ。

まったく何も考えずに行われる取材って、基本的にはない。どんなスタイルの取材であっても。

で、冒頭の話。「雑談のような」取材ももちろん意図や目的があってやってる。

この前もnoteでいろいろお世話になってるBAR BOSSAの林さんに新刊インタビューの取材をさせてもらった。

(一時期売れて在庫なくなってたけど、また復活してるみたいです)

林さんもnoteで書かれてたけど、新刊インタビューでありながら話は各方面に飛んでる。取材のセオリーで言えば、あまり推奨されるやり方ではない。

話が取っ散らかってしまうと、単純に収拾がつかなくなる恐れもあるし、一つひとつの話が浅く薄っぺらくなって、いわゆる「ブツ切り感」が出て物足りない記事になるリスクもある。

取材の教科書的には、必要な記事量にもよるけれど、大きなテーマがあって、それに沿った項目テーマを2~3聞いたほうがいい。

新刊インタビューなら「なぜ現代の猫の恋をテーマにこの本を書いたのか」という大テーマがあるとします(ひとつの例です)。

そこから「猫の最新恋愛事情を調べていて面白かったことは?」「猫の恋にも時代の変化があることについて、どう分析できる?」「猫の恋愛から人間が学べるものがあるというのは?」と、本の中身に沿って読み手が気になりそうなトピックで取材をするのがまあ基本。

なんだけど、今回は(今回もかもしれないけど)それをしなかった。

『なぜ、あの飲食店にお客が集まるのか』は、飲食業界ビジネス書の王道っぽいタイトルのようでいて、そのレイヤーを読み解くといろいろと深い。

飲食業に関わる人はもちろん、全然違う世界の人にもめちゃくちゃ参考になるリアルな話(とくに自分で何かやってくタイプの人には)が詰まってるからだ。

なぜ、僕みたいなライターでも「あ、これ読めてよかった」ってなったのか。

その理由も含めて、近々noteで記事にします(壮大な前振りになってしまってるけど)。12月の金曜の夜に長ったらしいの読まれないしね。