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必要なときだけ現れる人生

「ほんとに、そんなのできるんですか?」

僕がたずねると、取材相手は「全然できますよ」と軽い感じで答えた。いや、実際はもう少し丁寧にたずねてるけれど。

それでも相手の口調は、お菓子のゴーフルを空中に浮かせたぐらいの軽さだったから、きっと本当になんでもないことなんだろう。

取材相手はIoT系のベンチャー経営者でありエンジニアだ。

「シリコンバレーでは枯れた……というとあれなんで、成熟した技術だからあまり見向きされてないんですけど、日本では使えるというか誰も実用化してないんで僕らが」
「かたちにしたってことですね?」
「ですね」

まあ、詳しいところはあまり書けないのだけど、端的に言えば3次元の空間に「自由にものを出現させたり、消したりできる技術」をビジネスにしようというのだ。

22世紀なら「ありそう」な話が、もうすでに現実になっている。

実際、簡単なデモンストレーションとして、僕らの目の前で「水中メガネ」と「栓抜き」(なぜ、そのふたつなのかはわからない)を出現させたり、消したりして見せてくれた。

普通なら「うわ、すごっ」となるところなのかもしれない。だけど、あまりにもあっけなくミーティングルームのテーブルの上に現れて、また同じようにあっけなく消えたので逆に「ああ」ぐらいにしか思わなかったのだけれど。

「それは、あれですかね。シート積層型3Dプリンターを応用したみたいな?」
「まあ近いですけど、もっと進んだものです」

そうだろうなと思った。テーブルの必要ないシート積層型3Dプリンターは、装置としてはまあまあ大型のものになる。いくらその場に自由にものを出現させることができても、ワゴン車ほどもある大きさの3Dプリンターが部屋にあったら邪魔でしかない。

「僕らが目指しているのは、究極的にはものがあるけれどない世界です」
「ものがあるけれどない?」
「つまり、必要なものが必要なときだけ現れて、必要なくなれば消せる。そうしたら無駄に広い部屋に住む必要もないし、そもそも収納とか整理という概念もなくなる。片づけられないって悩みも多いじゃないですか」
「ゴミ問題もなくなりますよね」
「おっしゃるとおり。そういうことです」

「1-1=0」みたいな話だった。原理的には当たり前だし、技術的にも可能。そうなると「もの」とは、どういう意味をもたらしてくれるものになるんだろうか。

あるけれどない。必要なものが必要なときだけ現れ、必要なくなれば消える。常にゼロが維持される。バンドワゴン効果もスノッブ効果も関係ない世界。

それはすごく理想的で洗練された世界、あるいは禅的生活のような気もするし、何か物足りないような気もする。

どっちなんだろうな。僕は答えを持て余しながら、目の前に出現したタクシーに乗り込んだ。

もしかしたら、このタクシーも必要なときだけ現れて、必要ないときは消滅してもおかしくない。そのうち、僕ら自身も必要なときだけ現れて、必要ないときは消滅するのかもしれない。

それって究極的に効率がいいんだろうか。