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#人生のおかしみと哀しみ
「信州そば」に呪いをかけられて6年が過ぎた
他県から信州に遊びに来た人は、決まって言う。
「信州って言ったら、そばでしょ?」「本場のおそばが食べたい」
その言葉を聞くたびに、僕は少し複雑な気持ちになる。聞かされる「信州そば」への憧れが無邪気なものであればあるほど。
何が僕をそうさせるのか。なんなら、僕自身も信州に移り住む前は、同じように漠然と思っていた。本場の信州で食べるおそばは何か違うはず。
だけど、その勝手な想いは早々に覆される
もう家具は買い取れない話
ダイニングテーブルを買い換えることになった。
疾患のこととかもいろいろ含めて、生き方暮らし方を変えてくなかでのこと。
いままで使ってきたダイニングテーブルは北欧風(よくわからない言い方だけど)と言えば、それっぽいオーク材の無垢のもので「虎斑(とらふ)」と呼ばれる木目が表面に出てるのも気に入っていた。
在りし日の(いや、いまもあるんだけど)お家騒動以前の、会員制でコンシェルジュっぽいスタッフが
なぜ僕はテレビを観ないのか
僕は基本的にテレビを観ない。
これも一応、最初に書いておくと「テレビ」の存在を全否定したいわけじゃない。
観る観ないは自由だし、テレビに関わる人で、ほんとにすごく聡明で尊敬できる人だっている。良心的で良質な番組だってある。
ただ、それとは別の次元、僕の日常的な生活の中に「テレビ」がないのだ。
代わりにあるのは各種の音楽と自然の気配。とくに信州に移り住んでからは、余計にそうなっている。
そ
100%の生と死としての情報
※センシティブな内容を含んでいる可能性のある記事です。
惨劇が起こる。メディアはセンセーショナルな最新映像と人々の興奮や混乱を流し続ける。そこに何の意味があるかどうかなんておざなりにして。評論家たちは惨劇の背景を探って口々に語る。そこに仕事があるからだ。
犠牲者は数万人以上。数字が増え続けても、映像が更新されても、リアリティは増すどころか希薄になっていく。新しいSFX映画のプロモーションかと思
「問い」と「答え」の距離について
スマホに奪われるのは時間だけではないらしい。
集中力も溶かされていく。気がついたら何時間もひとつのことだけを「考えたり」「見つめたり」できなくなった。
もちろんスマホがすべて悪の根源だとか言いたいわけじゃない。だけど、スマホも含めた、いまの生態系というかエコシステムが集中力の維持を難しくしてるのはあると思う。
スマホ以前は、いまよりもう少し自分の意思で何か探索したり、そこで見つけたものについ
「させていただく」をやめると楽になれる
ここのところ(本当はもう少し以前からだけど)目につく「させていただく」多用し過ぎ問題。
これって言葉を扱う立場からも興味深くて。なんだろう。ちょうど「違和感ある」派と「べつに自然に使ってるし自然に聞こえる」派の中間ぐらいのところに漂ってる感じがして。
「その件についてご説明をさせていただきます」
「ここでは回答を控えさせていただきます」
どっちもオフィシャルな場でよく聞く。
話し言葉だけじ