盲信、信じる、信じない


こんにちは、文(ふみ)です。
みなさんは、おげんきですか?
文はげんきです。


「もっとプラス思考で生きたほうがいいよ」
「笑顔って大事だよね! ほらほら、写真撮るから笑って」
「資本主義は限界を迎えており、価値経済の時代に突入しているのです」
「そんな考え方だと自分が後で苦労するだけだよ」


みなさんは、人の言葉を信じますか?
警戒するでしょうか。鵜呑みにするでしょうか。
もちろん内容や相手によりますが、どんな状況であれ単純に信じる人は少ないと思います。ここでの「人」とは、身近な人はもちろん、新聞やネットを含むメディアや大人が作ってきた固定観念を含みます。


僕たちは、子供の頃から「知らない人の言うことは信用するな」と教えられて育ちます。でも年頃になると、そのウブさ加減を利用されて他人に都合よく " 盲信 " させられ、悔しい思いをした経験が少なからずともあるでしょう。そして一度はこう考えます。もう誰も信じるもんか、と。

思春期を過ぎても、その猜疑心を抱いたまま大人になる人がいます。たとえば僕でした。何事に対してもまずは否定し、シニカルを気取ることで己のプライドを保っていました。未熟さゆえに判断力がないので、相手の話を信じようとしたら必然的に盲信するしかないのです。でも騙されるのはくやしいし、判断力の欠如を看過されたくもないので「信じない」を選びます。選び続けた結果、子供のまま大人になっていました。何事も自分には関係がない、と逃げ続けていたら、当たり前に世間から取り残されていました。


盲信、信じる、信じない。
この中で一番大変なのは、信じることです。
相手の言うことによく耳を傾け、吟味し、信じたあとの始末にまで責任を取らなければならないからです。

盲信することは、これよりずっと楽です。リスクや判断など何も考慮せず、ただ他人の考えに身を委ね、従うだけです。

信じないのは、盲信と同じくらい危険です。
信じないことが習慣化すると「よく検討、判断した上で信じないほうを選ぶ」という当たり前の過程を経ずに、いまの自分が楽できなさそうな話だと感じた瞬間にシャットアウトするようになります。
それが常習化すると、もはや何も得られなくなってしまいます。


僕はその結果、苦しい思いをしました。
冷笑家を気取っていたツケが回ってきて、それが自分の心を蝕むことになりました。言葉は魔法です。いままで否定してきた言葉が、そのまま自分の存在を否定する刃として返ってきたのです。


だから僕は、信じることに立ち向かうようにしました。
前向きな思考が、何故「良いもの」とされているのか、「ありがとう」や「おはようございます」は何故言うべきなのだろうか、という理由を真剣に考えて、本を読んで調べるようになりました。

その結果、それらは「大人がこうしなさいと教えてきたから」ではなく、実際的に脳の作用やコミュニケーション上で非常に理に適ったものであるからという事実を知りました。僕は本当にバカなので、そんなことをずいぶんと大人になってからわかりました。

信じることの一番素晴らしい点は、相手の言葉を尊重できるところです。
もし強制遮断してしまえば、それはこちらの役に立つかもしれなかった話を
してくれた相手をないがしろにするので、悲しいことです。

自分が言ったことを信じて共感してくれる方がいればとても嬉しいし、
他の人の言葉を自分が信じられるようになれれば、すごく素敵な世の中ですよね。そしてもし、考え方のちがうところがあれば意見を交換して建設的に
前に進むことができると、もっと良いですね。


僕はみなさんの言葉を、信じます。
そして、少しでも力になりたいです。
それでは、おやすみなさい。

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基本的には絵を描いています。 ときどき、自分の考えていることをここに書きます。 普段はツイッターでイラストをUPしています。 https://twitter.com/fumifumifur
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