
両親との時間。違和感と幸福感と。
ただいま。
返事がない部屋に向かって呟いた。物音もなく「おかえり」も帰ってこない。しんとしていて、冷たい感じがした。
地元の福岡から両親がやってきて1週間わたしの部屋に滞在し、今朝帰っていった。羽田まで見送りにいって部屋に戻ってきたところだ。両親がいた1週間、仕事以外の時間はずっと一緒に過ごしていた。一人暮らしに慣れていたわたしは、両親がつくりだす生活音がこんなにうるさいのかとびっくりした。一軒家で暮らし慣れている両親の大きい声の会話。バタバタと歩く足音。母が慣れないキッチンでガチャガチャ料理する音。花粉症の父が頻繁に鼻をかむ音。正直イライラすることもあったが、そこにはぬくもりがあった。
鬱陶しくて、めんどくさくて、そしてとても幸せな両親との時間。
違和感と幸福感がいつも同時に存在していた。
両親が好む娘でいようとする自分がいた。そのままのわたしでいようとする自分がいた。もっと両親に優しくできないのか、自分が情けなく感じることもたくさんあった。傷つけたいわけではないのに、意図をもってひどい言葉を口にしている自分がいた。そんな自分に、わたし自身が悲しくてたまらなかった。
そしてそれでも、父と母はわたしの父と母であり、変わらずありったけの愛情をわたしに向けてくれていた。押し付けがましく重たい、とんでもなく深く温かい愛。
いつも以上に気持ちがいそがしい1週間だった。
部屋にひとり。久しぶりにひとりの時間が戻ってきた。とてもとても静かで心までからっぽな感じがした。安心感と寂しさと空虚感と。
もうそろそろ福岡空港についたころかなと時計に目をやる。そしてLINEを送った。
静かな空間のなかで、時計の針の音が響いている。少しずつ「わたし」を取り戻している感覚がある。ひとりの時間はわたしと「わたし」を繋げてくれるものだ。両親も大切、「わたし」も大事。両立するためのわたしの葛藤はまだ続くだろう。
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