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ある夏の夜の夢、イタリア レッチェにて

 イタリアの南の南、イタリア半島をブーツの形に例えると、ヒールの部分の底と付け根の間、1/3くらいのところ。レッチェという町は、地図上の距離で言えば、ナポリよりも海を挟んだアルバニアが、ローマよりもギリシャが近い位置にある。今日はヴェネツィアを離れて、そのレッチェから。

 日本では神戸で知られる「ルミナリエ」、神戸では震災の犠牲者への追悼と、観光復興を願って1955年より開催されており、クリスマスの風物詩のひとつとして定着している。これはレッチェをはじめとするプーリア州サレント地方で盛んな行事で、それもどちらかというと夏の夜のお楽しみらしい。レッチェを初めて訪れたのはある年の10月だったが、広場でちょっとしたお祭りがあったためだろうか、おそらく簡易版なのだろうけれど、夜になると幾何学的に描かれた模様が浮かび上がって、おおお〜・・・となった。

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 地中海に突き出した半島の内部に位置し、温暖な気候に恵まれたレッチェの歴史は古い。先史時代から人の住んでいた跡が数多く残っており、伝説ではトロイア戦争より前にすでに町があったとされるが、現在の研究では、絵鉄器時代(紀元前8-6世紀)には少なくとも町を形成し始めていたことがわかっている。メッサピと呼ばれる民族が長く暮らしていたが、紀元前3世紀にローマ共和国に組み入れられた。レッチェの町のど真ん中には今でも、ローマ時代の闘技場の遺跡がどーんと残っている。

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 ローマ帝国崩壊後、一旦は東ゴート族に占領され、その後、東ローマ帝国の手に移る。5世紀ほどの支配ののち、サラセン人、ランゴバルド族、マジャール族、スラヴ族、そして11世紀に入るとノルマン人が登場する。この後の歴史は、南イタリア全体の歴史そのまま、やがてナポリ王国に組み入れられ、スペインのアラゴン家、フランスのブルボン家の支配下を経て、1860年に近代イタリア王国に「統一」される。
 プーリア州を広く見渡せば今でもノルマン人支配時代の遺跡が多く残るが、レッチェの市内を特徴づけているのは「レッチェのバロック」と呼ばれる建築群。大きな丸いバラ窓を縁取る彫刻がレースのようなサンタ・クローチェ聖堂をはじめ、人や動物や植物その他の立体彫刻でびっしりと埋め尽くした建物は、よく見ればかなりゴテゴテなのだが、不思議と、例えばどっしりと重い白大理石をふんだんに使ったローマのバロックとはずいぶんと違い、圧迫感がない。むしろ軽やかに感じるのは、この地で取れる、柔らかくて加工のしやすい石灰岩でできているためで、まるでお砂糖でできた繊細な菓子のようでもあり、思わずそっと両手のひらで受け止めてみたくなる。

 レッチェはまた、ローマや、ミラノ、トリノからくる列車の終着駅でもある。ここから先は、小型のローカル列車のみ。地図で見ると半島の真ん中でいきなりプツンと線路が終わっているのは、(その先にもはや主要駅になりそうなところがないからということもあるが)、三浦半島の京浜急行線、三崎口駅にちょっと似ている。その先が保護地帯だから・・・と理由も近い。もっとも、東京都内からわずか1時間半の三崎口と違い、レッチェは最果て感がたっぷりある。

 先週7月23日の夜、その最果ての町レッチェで、ディオールのファッションショーが開催された。フランスを代表するトップブランドの一つ、ディオールのショーが、パリ以外で開催されたのは初めて。ディオール・クルーズという、夏のヴァカンスシーズン向けのラインで、オートクチュールではないとはいえ、それでも老舗の大御所ブランドにとって、それは相当思い切った決断だったと言えるだろう。
 仕掛人は、同社で現在クリエイティヴ・デザイナーを務めるマリア・グラツィア・キウリ氏。
イタリア出身のキウリ氏は、フェンディ、ヴァレンティノで長くデザイナーを務めた後、2016年にクリエイティヴ・ディレクターに就任した。ディオールの中で、初の女性、初の外国人ディレクターとして当時も大きな話題をさらった。
 キウリ氏が今回、この場所をショーの会場として選んだのは、父親がレッチェ県の出身で、ローマで生まれ育った彼女にとってもここレッチェは、ずっと心のふるさとであったためらしい。

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 歴史的遺産の多く残る、だがこじんまりとした町の中心にあるドゥオーモ広場の暗闇をレースのような模様で縁取るルミナリエ。音楽とともに、まず静寂を破ったのは、地元の伝統舞踊ピッツィカのダンサーたち。そこへ、「ディオール」をまとったモデルらが続々と登場する。・・・
カッコイイ!!!デザイナーやクリエイターの数カ月のエネルギーがぎゅっと、たかだか十数分に現れるファッションショーはそれ自体、ものすごいエネルギーの結集であり、まさに「ショー」であり、力強く美しい。だがこれはもう、なんというのだろう・・・そのカッコよさにドキドキが止まらない。
 そしてキウリ氏が郷土愛を発揮したのは、演出面だけではなかった。ふんだんに使用された天然繊維を使った4枚綜絖の手織りのテキスタイルは、20世紀前半に地元の5人の女性たちが、女性の解放と自由獲得のため、伝統工芸の保護継承のために立ち上げたレ・コスタンティーネ財団によるもの。また、かつてのこの土地の女性たちの姿を思わせる、頭に纏わせたチーフは、やはり女性の手仕事の象徴であるボビンレースを使用している。

 今年2月23日にミラノで、ジョルジオ アルマーニが急遽、秋冬コレクションのショーを無観客で実施してから5カ月。ファッションを取り巻く環境は、ほかのあらゆるものと同様に大きな変化を強いられてきた。でも、ファッションは立ち止まっているわけではなかった。次の大きな、とびきり美しい花を咲かせていた。

演奏 Orchestra della Notte della Taranta
指揮  Paolo Buonvino
ダンス L-E-V Sharon Eyal /Gai Behar

美しい映像はこちらからどうぞ。

https://youtu.be/T5pBRKED0Bc

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Fumie M. 07.29.2020


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