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「系統樹思考の世界 すべてはツリーとともに」 三中信宏

講談社現代新書  講談社

これも電子書籍でページ数記載無し。ちなみに三中氏には、講談社現代新書で「分類思考の世界」、「進化思考の世界」もある。


系統樹思考と歴史科学論争

系統樹思考というものは、分類思考と同じく人間の本性(というか悲しい性)なのだけれど(発達心理学や認知心理学の知見から)、それでも本質論(普遍論争などに遡る)的展開の分類思考と比べると、系統樹思考の方は学問的には進化論くらいからと三中氏…だけど、ヒュームの因果論とか古くからいろいろとこちらもあるような…

歴史科学論争のところでは、ヘイドン•ホワイトと比較してギンズブルグの「歪んだガラス窓」の記述があった。この辺りは野家氏の論と同じか。ホワイトの方も読んでみないと…そこから、理系•文系、自然科学•人文科学という区別も比較的最近のものだとの指摘も。その区別の中でもがいているというか安住しているというか…

ギンズブルグの引用

 資料は実証主義者たちが信じているように開かれた窓でもなければ、懐疑論者たちが主張するような視界をさまたげる壁でもない。いってみれば、それらは歪んだガラスにたとえることができるのだ


ヘイドン・ホワイトの引用

 もし、語りと物語性とを、架空の事柄と現実の事柄とを一つの叙述の中で出会わせ、結びつけ、あるいは溶けあわせる手段であると考えるならば、物語の魅力と、物語を拒絶する根拠とを同時に理解できるだろう


それに対する著者の考え

 できごとの系列としての歴史「物語」をターゲットとするかぎり、「物語」は確かに経験的テストの対象であると私は考えています。さらに言えば、次章で説明するように、あるデータを説明する対立仮説があまりに多過ぎるため、データによってどんどん絞り込んでいかないと何も説明できないということにもなりかねません。より正確には、データによってテストできるような歴史「物語」をつくっていこうという意思表示です。

それぞれに魅力的で選べない…
とにかく「何も説明できない」のが、人間心理、それから実生活においても一番困る事態なので、それを回避できればどの経路でもいいような…
野家啓一氏にも聞いてみたい気も。
(2017 06/28)

ネットワーク(潮流)、ジャングル、分類思考


系統樹思考の考え方を述べた第3章に引き続き、第4章とエピローグをさっき読み、なんとか8月は2冊目読了。

さて、系統樹(ツリー)の発展形として第4章で述べられているのが、ネットワークとジャングル。ネットワークは分岐した後の再融合を許したツリーの特殊版。物事の多くはツリーというよりネットワークなのだから(ここで芥川の「羅生門」のネットワーク変遷が引かれている)最初からネットワークでいいのではとも思うけど、複雑になり過ぎ…
ジャングルは違う系統樹を掛け合わせたようなもの。例では生物の寄生関係、宿主と寄生生物の系統樹掛け合わせが示されていた。

そしてエピローグ。再び系統樹思考と分類思考の対立がテーマに。マーカーつけたところ辺り、分類思考と本質主義、それと対立する時間進化を取り入れた系統樹思考のわかりやすい比較。だけどそこまでこの二つが対立関係なのかというちょっとした疑問も。系統樹思考は分類思考に時間経過のオプションを入れたものにすぎないのかもとも思う。ベルクソンの時間の空間化を思い出す。そこらへんは認知心理学の成果をみていかないと。あと本質主義は言語の成立とともに始まったのか?

つくばの研究機関に勤務する著者三中氏は、つくばエクスプレスの開通とともに原稿催促が頻繁になり、そのおかげで書き上げられたという。また原稿書いてた喫茶店への謝辞が続くのも珍しい。
(2017  08/27)

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