見出し画像

「忘れられたマイノリティ 迫害と共生のヨーロッパ史」 関哲行・踊共二

山川出版社

関氏はスペイン中心(以前に「スペイン巡礼史」(講談社現代新書)を読んだことあり)。踊氏はスイス史を中心にドイツも。お互いの担当章が交互に現れて対話的に構成されている、という。

多神教と一神教のあいだ


「忘れられたマイノリティ」を読み始め。
キリスト教・イスラム教・ユダヤ教という一神教も、実は内部に多神教的要素を持っており、また内部諸派あるいは他の宗教への改宗も皆無ではない。流動的な視点で見なければならず、それは都市部だけでなく農村部でも要求される。序の内容を概観するとこんな感じ。

 「異端」や「異教」の要素にみえるものが、実際には一般信徒の世界に、みえないかたちで歴史的に広く共有されてきたものである場合も多い。
(p35)


いろいろな時代・地域・宗教の様々な実例が次々とさわりだけ?紹介されてくるみたいで、それぞれのもっと具体的な内容は参考文献見てくれ、という感じか?

裁判の理由と現実


動物(だけではないが)裁判というのが、中世(あるいは近世になっても)ヨーロッパでは行われたという。
ある女性が殺された近くにいたニワトリは何もできなかったから処刑とか、殺人犯が逃げ込んだ森は有罪で伐採されるとか。荒唐無稽というのはまさにこういうことをいうのだな、と今の自分としては思うのだけれど(ニワトリが欲しかったり、森の伐採を皆にさせる口実だけではないか、と現在の視点ではつい思えてしまう)、まあそういう理由もあったかもしれないけど、ここで指摘されているように中世(や近世)の民衆の世界では人間とその他の境界が少し曖昧で、その世界観を現場で接する牧師などの下位聖職者も共有しつつ理解していた、という考え方も重要といえる。
ちなみに豚に悪霊が入り込む聖書の記述は、ドストエフスキー「悪霊」の扉の文章としても有名。
(2016 09/12)

レコンキスタと宗教改革


この二つが「忘れられたマイノリティ」の大きな背景。
昨夜読んだところでは、レコンキスタ後のコンベルソとモスリコ(前者がユダヤ教徒からの、後者がイスラム教徒からの改宗者)、それぞれに内部格差は大きい。コンベルソのたぶん上層にいた人々4人のその後。同化した者もあれば、同化せず亡命して再改宗した者もある。行き先もイタリア、イスタンブル、アムステルダムと多岐にわたる。

宗教改革の方は、18世紀くらいまでの近世から近代への流れがp74~75にまとめてあったので、まとめてみると…
権力による個人の内面への干渉はやわらぎ、信仰の個人主義化・私事化の傾向がいっそう強まる。ただし十七世紀後半以降、民衆の信仰心は政治的領域の世俗化に反比例して強まっていたともいわれる。
ローマやサンティアゴをめざす長距離巡礼より地元の霊場を巡る在地型の短距離巡礼の活発化が近世の特徴である。
巡礼や宗教行列を主催する兄弟団の叢生も、近世的な現象である。
(p74〜75から抜粋)
(2016 09/15)

峠道と改宗者


「忘れられたマイノリティ」昨日読んだところはアルプスを結ぶ峠道を通った人々。その中には何度も改宗や宗派変えをした人も多くいる。その中で個人的に気になったのはドイツ側に捕虜になったムスリムのトルコ人の改宗。逆の例やユダヤ人の改宗の例は知っていたけど。この件を巡り、改宗した夫婦の子供は幼児洗礼できるのか、という論議が巻き起こったりもした。
…でも、近世から近代へ、世の中が安定していくに従い、人々の移動(自主的なものであれ、そうでないものであれ)は縮小傾向にある、とこの本見ると思うのだけど…実際はどうだろうか。
(2016 09/16)

スペイン、ドイツ、それぞれの混住関係

今日読んだところでは、スペインのユダヤ人やモスリコの兄弟団と、ドイツ農村部のユダヤ人とキリスト教徒との混住関係について。
マジョリティが自身をマジョリティだと認識していくたびに、マイノリティはその影で同化するか逃げ出すかしていくのか。いずれにしても、細かいところの歴史。読むこちらとしても繊細に読んでいかねば。
(2016 09/19)

ドイツユダヤ人混住村続き。安息日が土・日で異なることもトラブルの要因になった。稼ぎたい生活困窮者のキリスト教徒の妻は、日曜日にユダヤ人の家に下働きすることもあり、教会から訴えられたという。安息日という概念も日本人が思っているよりかなり厳格。
スペイン改宗ムスリム(モリスコ)追放令により、モリスコ農民の多かった地域、特にバレンシア地域では、人口の3割以上が追放になったという。しかも彼らは高度の灌漑技術を持っていたため、その維持が困難になってくる。
(2016 09/21)

中世から近世へ

 「一神教」でありながら「多神教的要素」を包摂し、聖人や聖遺物に由来する現世利益を、教勢拡大の不可欠の要素とする「三つの一神教」。これらが対立しながら共存し、シンクレティズムや「宗教(宗派)間移動」を繰り返した事例はヨーロッパ各地で検証される。
(p229)


モリスコ達を中心に都市自治を実現させたモロッコのティトワン、モリスコ出身でマリのソンガイ帝国制服や商売等に関わった人達、各マグリブ王朝の対抗勢力がスペイン等に何回も渡りながら改宗を重ねた事例(第8章)

再洗礼派その中でも特にアーミッシュに焦点を当て、新旧どちらの勢力からも迫害されながらも生き延び、アメリカ(ペンシルヴェニア・オハイオ・インディアナに特に多い)と元のヨーロッパの繋がりや、マジョリティの農民とのネットワーク(マジョリティ側も一枚岩ではない)を概観(第9章)

終章ではセビーリャの黒人兄弟団や日本やマニラでのキリシタン兄弟団、南米での異端審問巡回団、隠れキリシタンの習俗や聖書理解が「元来の純粋な一神教が堕落して」できたのではなく、ヨーロッパ始め各地に似た例が見られる…などなど。

今までの章の内容も含め、それぞれのトピック一つ一つでそれぞれ一冊ずつありそうで、例えばマニラの事例では平山篤子氏の著書と翻訳で本が出ている。
(翻訳本「イダルゴとサムライ 16・17世紀のイスパニアと日本」 フアン・ヒル著 平山篤子訳 法政大学出版会叢書ウニベルシタス)
(著書「スペイン帝国と中華帝国の邂逅 十六・十七世紀のマニラ」平山篤子著 法政大学出版会)
(前者のみ、図書館で借りて少しだけ読んだ)
ということで「忘れられたマイノリティ」読み終わり。
(2016 09/22)

関連書籍


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?