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脳腫瘍を取ったら色々失ったり見つけたりした4【高次脳機能障害】



術後7週目

家族以外との面会許可が降りた。

術前の様子との違いがないか確認(という建前の私のストレス発散)で面会の許可が降りた。

けれども、正直会える嬉しさと同じくらい「変わったね」と言われることが怖く、ほとんど友達を呼ばなかった、。


先に会ったのは高校からの女友達。

「私今まともに話せてるよね??」

しばらく話してから、元々あまり不安になるタイプではないけれど今回ばかりは聞いてしまう。



「え、全然普通じゃん」

高次脳で地図がまともに見れなくなった話もしたところ、「そんなの元々私できないし!」と一蹴。

うーーーん、この女強い。
なんだか自分が悩んでいるのが馬鹿らしくなってきた。
本来15分規定の面会時間をしっかり1時間超過して面会終了。何を話したか覚えてないけれど、この子が記憶喪失になろうが半身不随になろう、私は絶対会いに行こうと思った。




次に来てくれたのは大学時代の男友達二人。

一人は「何を喋ったらいいかわかりません」と顔にデカデカと書いてある。いや君のそういう正直なところがいいんだけども。
もう一人は相変わらずのフラット。どういう状態なの?と気兼ねなく聞いてくれる。

人によってはセンシティブがしれないけれど、私は聞いた上で判断してほしかったのでその態度が非常にありがたかった。

一部のリハ師さんから、「障害があると本当に辛いだろうけど頑張ろうね!」と言われたことがあったけれど、私はその態度が一番傷ついた。
私の場合はそれを言われるまで障害自体を一度も辛いと思っていなかったもの。

だからもし私の周りの誰かに障害が残ってしまった時は「辛い」なんて言葉を使わずに一旦話を聞こうと思う。自戒。



なんか、膿が出る。

結局最大の原因はわからない。
傷が気になって見てしまう癖か、走ったりで体力を消耗しすぎたか、大浴場が不衛生だったのか。
理由はともかくとして、転院して2周目に入る頃、頭の傷口から膿が出始めた。
一旦膿を出し切っても、次の日にはまた出る。

なんだかクラクラするし。

最悪なことにそのままGWに突入してしまい、先生が来るのは10日後に。
にもかかわらず馬鹿なことに毎日のランニング日課は辞めずに継続。


毎日看護師さん3人位に囲まれてキャーキャー言いながら傷の処置をされる。

そのまま日が経ち、GWの最終日近くには熱が出始めた。


(つづく)

術後8週目

GWが明けた。


その日の朝はかなり怠さと熱っぽさで珍しく食欲が一ミリも気も起きなかった。
やることがなさすぎてリハビリに命を懸けてると行っても過言で早かった私だけれど、泣くその日のリハビリもキャンセル。


そして体調確認のための血液採取をされた数十分後、担当の先生が慌てた様子で病室に来て一言。

「ちょっと元の病院に戻って検査するよ。



理由を聞く余地もなく、
そこからはまーーー早かった。

両親に即連絡が行き、迎えに来てもらって、3時間後には手術をした急性期病院のベットに逆戻り。


看護師さんたちからは「おかえりなさい」といわれまくったり、なんでまた居るのという視線を向けられたり。

こんな嬉しくないおかえりなさいは初めて!
記憶はないけれど、ここで叫んだり迷惑をかけまくったことは判っているので本当に戻りたくなかった。


とはいえ病院の移動までされているので文句も言えない。
大人しくお昼を食べている間に(本当に食い意地張りすぎ)出た血液検査の結果的には、白血球の数値が異常に高いらしい。

いわゆる術後の 感 染 症 

傷口から菌が入り、そのせいで発熱していたようだった。

とりあえず頭に溜まった膿を出す処置をすることに。傷のところを再度ちょっと切り開いて出すらしいけども。 

いやいやいや手術室とかでもなく、
麻酔なしですか

24歳、大人のくせに大騒ぎしたのは謝るけど脳外の先生って結構容赦なさすぎると思う。
 
病室の並びの薬品庫?みたいな普通の部屋に連れて行かれ、そのままやりやがっやってもらうことに。
 

主治医の先生が手術中のため、回診でいつも来てくれていた先生たちがやってくれるそうだけど、
「俺もあんまりよくわからないけどここを切ってみよう」
とか割と偉い先生が言われながら、研修医の先生が処置することに。

TikTokの膿出す動画とかは割と好きだから、正直初めはワクワクしたけれど。
頭の天頂の傷だから見えこそしなくても、押されてる感覚で膿が出てきているのがわかる。えぐい


ーーー

終わって処置台にあった器をみると、
握りこぶしくらいの膿量のが出ていた。
そりゃあ熱も出ますわな。

その後数日間はリハビリ病院には戻らずしばらく入院して点滴を受けるということに。
まあいいんですけどね、ここの病院ごはんおいしいし。


もう本当に、もうちょっと深く物事を考えられる人間になったほうがいいと思う。




急性期病院の本領発揮!?

転院した日の夜、20時くらいに手術を終えたらしい主治医の先生が病棟に来た。
(主治医=私の脳の手術をした先生で、割と手術回数が多くて忙しいようで、回診はあまり参加せずよく一人で様子を見に来てくれた。いい先生)

よく覚えていないけれど用件は一つ。


やっぱ点滴じゃ対処しきれないから手術するね!



あ、了解でーす。

もうこの時点で5か月間で3回手術室的なところに行っているので、手術と言われてもどうとも思わなかった。
(感染したせいか、高次脳機能障害のせいで判断力がまともじゃなかったかもだけど)

説明を後から詳しく聞いたところ 
(前に聞いたほうが良かった)、
頭は外側から皮膚(髪の毛)→頭蓋骨→硬膜→脳実質という構造らしく、どうやら膿が頭蓋骨と硬膜の間まで広がっているそう。
そのため、このままだと数日で脳実質まで感染→本当に取り返しがつかない障害が出るとのこと。
いや、手術断れませんわ。

青矢印のところまで膿が進行していた

やることはシンプルで、脳腫瘍の手術をする際に開けた頭蓋骨を開けなおして、生理食塩水で全部洗い流すだけ。
うんうん、そりゃそうだよね洗剤とか使えないし水洗いしかできないわな。

問題は骨が全部戻せないかもしれないこと。

頭の中は基本無菌状態。
一度開けた10*10cmの部分全てではないけれど、その内感染しきってしまった場所はそのまま切り取って骨を入れずに閉じて、後日人工骨にするらしい。

サイボーグみたい!
本当にそれしか思わなかった。この時期の私はポジティブの天才だったと思う。



この話をした時点でたしか夜21時くらい。
緊急事態なので、仮眠してから手術室が空く深夜2時くらいから手術すると先生は言った。

私はどうせ麻酔で寝るからいいけれど、昼も手術してるのにまだ手術するのか先生、、、
急性期病院だとよくあることみたいだけれど、もう本当に頭が下げきれない。

とりあえず即同意書にサインして、ちょっと寝て、手術着に着替えて今年4度目の手術室へ。
もう緊張もしなかった。なにより眠かった。






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